元旦になると、毎年行う恒例行事があった。

家族が隣の部屋に集まりテレビを観ている中、暖房がつけていない自分の部屋の布団に入りながらパソコンの画面に「今年の目標リスト100」をパチパチと打ち込む。大きかったりも小さかったりもする、その年に達成したいこと・やりたいことを100個思いつくだけ打ち込む。例えば、「〇〇での長期インターンシップに受かる」という目標もあれば、「桜を見に行く」「〇〇ちゃんとご飯にいく」なども含まれる。出来上がったリストをデスクトップの「個人情報」というファイルにセーブすると、年始からなんとも言えない達成感に包まれる。前年のチェックマークがいっぱい入ったリストを振り返りながら、去年はどんな年だったかなぁと思いを巡らせるのもまたまた楽しい。
そして忘れてはならない、最後の儀式であるクオート(引用文)を探しにグーグル先生を開く。

その年の全体目標とする「一言」をネットでリサーチする。その年に大体起こる大きな行事をいくつか予想しながら毎年、500個くらいをざっと見る。一昨年は大学受験があったので「Fight until your idols become your rivals」という一文を選び、携帯のホーム画面はその一文と志望大学の旗をコラージュしたものにしていた。

毎年90%以上の達成を目標にしているが、去年のリストはひどかった。100個の目標にチェックマークは全く入っていなく、リストをどんよりとした気分になりながら見つめる年の瀬を迎えた。大きな目標だけではなく、「〇〇ちゃんと箱根に行く」や「紅葉を見る」という小さな目標さえも達成できていない。

ストレスを感じた2019年

2019年は、自分の心と体が別のところにある様な一年だった。友達との約束のために、服を着替えて化粧をバッチリするのに、直前になると家から無性に出たくなくなる。身体中が鉛の様に重く、勝手に進む時計の針を見ながら、息が苦しくなる。予定よりも30分ほど遅れて家を出て電車に乗っても、途中の乗り換え駅でタクシーに飛び乗り10倍以上のお金を払って家に帰ってきてしまう。帰りのタクシーでは、とっくに待ち合わせ場所に着いている友達に断りと謝罪のメールを入れ、罪悪感で押しつぶされそうになりながらどうしようもなくホッとしている自分に気づく。「家に帰れる」と分かった途端、必死に呼吸しようと息をたくさん吸っても苦しかったのが嘘の様に、体が楽になる。家という、他人の目に晒されない、唯一の安全地帯に戻れることに安堵を感じていた。

「会いたい友達に会えない」「返信しなきゃいけないのにできない」

一瞬で済む、そんな簡単な事さえできない自分を信用できなくなり、予定を入れるのを辞めた。約束した日が近くなるとストレスを感じ、予定を断る度に、予定を入れた自分が憎くなる。「このリストを目標に頑張るんだ!」と希望に溢れていた2019年元旦の自分は2020年の現在、いなくなってしまった。

完璧じゃなくても

でも本音をこっそり言うと、2020年の自分は嫌いではない。2019年、わたしはリストを作っていた頃には見えなかった側面が見える様になった。寝過ごしちゃっても夕方前に起きられたことを褒める自分、新宿御苑の桜景色の代わりに近所の桜の木を見て喜ぶ自分になった。予定通り進まない人生を受け入れることが2019年の自分よりも少しだけ上手になった。人生はどれだけ「完璧」であるかの運動会ではないのだと、気づくことができた。

去年まで作っていたリストを今年は作らなかった。もちろんやりたい事も、行きたい場所も、会いたい人もたくさんいる。でもリストを作って自分にプレッシャーを与えるのではなく、その時その時の自分に合わせてやって行けば良いのだ。2019年、わたしは人生は楽しむものであり、目標を鳥を撃ち落とす様に捕まえるものではないと学んだ。

という事で、今年は「The most important thing is to enjoy your life, to be happy, it's all that matters. (一番大切なことは人生を楽しみ、幸せになることです)」というオードリー・ヘップバーンの名言を心に、一年を過ごそうと思っている。たくさん笑う一年にしたいな。