家の中で「お姉ちゃん」と呼ばれ、私が迷子になってしまった気がしたのは、幼稚園に入る前だった。私にきょうだいができた時、自分が何者かと懸命に模索している幼年期には、嬉しくもあり寂しくもある事件。きょうだいが出来て嬉しい反面、私は生誕して3年もたたない内に名前を失った気持ちだった。

人間が生きる中では、貧困だろうが金持ちだろうが、不幸だろうが幸せだろうが、男や女や性別に関係なく平等に与えられる権利がある。それは「名前」と「死ぬこと」。

それが下のきょうだいが生誕し、長女である私は家庭内で名前を失う。呼び名が「お姉ちゃん」へと変わる。本来は生誕した際に付けられた名前は、死後に名前を失ったり、変わったりするのではないか。宗派によって異なるが、仏教のひとつでは、死後は戒名を与えられる場合がある。死後に名前が変わるはずなのに、生きている内に呼び名が変わるだなんて、私はどこへ行ってしまうんだろうか、という不安感に包まれる。

人格が「姉」へと変わった

きょうだいができてからは、きょうだいからはお姉ちゃんと呼ばれ、親からもお姉ちゃんと呼ばれ、親戚にでさえお姉ちゃんと呼ばれた。
「姉」というラベルを貼られ、人格が「姉」へと変わる。押し付けられた人格だ。意味を持って名付けられたはずの唯一無二の名前を、かっさらってしまうさみしい名詞。

家族のカタチは多様化し、受け入れつつある世の中になっているが、母が母、父が父のように、姉は姉という役割を演じなければならない瞬間がある。家族ごっこ。私は私としてではなく、姉として振る舞う。私が姉になり切る。

親に甘えたい気持ちからべたべたとひっついている時には剥がされる。ピアノの発表会で失敗した時には貶される。友達と喧嘩をして悩んだ時には受け止めて欲しかったのに、自分で考えろと突き放される。まだまだ子どもでいたい時期なのに、「お姉ちゃんなんだから見本のようにしなさい」と言われることが増えていった。

お姉ちゃんと呼ばれる際は、命令形で使われることが多いだろうか。自立を催促されることもあるだろう。

そもそも私は姉の見本を見てきていないのだから、姉の正しいあり方だなんてわかるはずがない。たった数年しか生きていないのに、急に多くの期待をはらんだ「姉」という呼び名で、私の個性よりも姉であるとを最優先する場面が増える。

世間に浸透する「姉」概念は、母親代わり、やさしさ、柔和であることを求められることだろうか。本当に都合のいい記号。

父親に対しては、習い事のテスト結果が良いから褒めてほしいと見せてもスルーされる。弟の将来ばかりを気にして私の対応は後回し。自分の将来像を描く時は、祖父母から「弟の進学先を含めて考えなさい。弟は男だから選択肢を広げないといけないから、お金が必要なの。あなたは現実を見て資格でもとって就職しなさい」と言われた。

男きょうだいと比べられて「お姉ちゃんは“女”だからね、男が優先」と言われるもどかしさや辛さがあった。弟は「弟だから」と言われずに、長男信仰で持ち上げられる。いいとこ取りでずるい。

大人になった今では、彼も「男なんだから」と言われて葛藤していたかもしれない、と容易に想像ができるが、幼き私は理解できるはずがなかった。姉の役割を求められ、時には女の役割を求められ、いいところは弟がかっさらう。

都合のいい時だけ年長者扱いをし、都合が悪くなると女と変換される。「姉」も「女」もただの記号なはずなのに、なぜか弟と対等になれなかった。対等に扱われることはなかった。

大人になって「姉」から逃げ出せた

名詞で呼ばれ、記号となった私はどこへいくのだろう。

20代に入って仕事を始めると、姉を演じる必要は少なくなった。自分でお金を稼いで自活ができるようになった瞬間、家族の抑圧や家族のからの期待が減った。そして、家族以外の居場所が増えた。

育った家族以外の多くのコミュニティや居場所で、私は名前を呼ばれて私のあり方を表現できる。姉である私から逃げ出すことができた。迷子ではなく、自分から飛び出した。

誰しも役割を演じながら生きる必要があるのかもしれない。一歩社会に出ると仮面を何枚も持ってシチュエーション毎に被り変える。大人になっても役割を演じることはたくさん出てくる。

幼年期の私は器用に「姉」という仮面を着脱できなかった。

あの頃の自分に伝えられるのは、「家では“姉”なのかもしれないが、外に出れば違う自分を演出することができる」だ。今は飛び出して私らしく生きられている。

これからももっと飛び出して、新たな自分や私を見つけてみよう。