2020年1月3日。社会人3年目を迎えた、実家に帰省中の私に、小さな事件が起きた。
のどかな天気の良い昼下がり。光のさしこむリビングには、ダイニングテーブルで年賀状を書く私と、こたつに座る両親がいた。
私は新卒で家を出てもうすぐ3年。自分で選んだ就職先は給料は高くないものの、やりたいことを比較的自由にやらせてもらえるし、学生時代のつながりがもともとある土地だったため、休日も友達に囲まれて楽しく過ごしていた。

帰省中に起きた、両親との事件

年末年始は、1年で一番実家でゆっくり時間を過ごせる時だった。今年も何事もなく、地元の友達や親戚の家での会を終えて日常に戻っていくものだと思っていた。
そんな時のできごとだった。
何気ない父親との会話。公務員でもなく株式会社の社員でもない、今後のキャリアが想像しづらい私の仕事のことがやはり気になるようで、今の仕事についていくつか質問されて答えた気がする。
次第に年収に話題が移っていったあたりだろうか。その会話の中の何かが、私のこころに突き刺さった。おもむろに涙がふき出し、自分でもびっくりした。

父親も驚いただろう。その後口論のような、議論のような会話を両親と泣きながらした後、なんとか私は自分を落ち着けるべく、家を出て近くのカフェまで歩いた。

こんなふうになったのはとても久しぶりだった。大学を卒業する年だった3年前、私は相談をしないまま入社4カ月前に内定を辞退し、地方の小さな会社に就職先を変えたのだった。両親特に母親とはひどい喧嘩になった。その時も母を前にすると冷静になれず、1週間くらい口をきかずにすごして、毎日夜中に涙が出て来るほどだった。でもそれ以来、基本的に話の合う両親とは良い関係を築いてきたつもりだった。

今回、再び自分の感情がコントロールできなくなったことで、私の中には「両親に良い評価をもらいたい私」がどうしてもいることに気づかされたのだった。

勉強もスポーツも比較的できた小中高時代。両親がそれを喜んでくれているのを、私は愛情としてうけとっていたのだろう。そして今でも、両親の心配や期待は、私の「経済的な安定」や「良い家庭を築くこと」に向いている。親として当然と言えば当然だ。

「そんなのは昔の価値観。大企業・学歴を重視したいわゆる『一般的成功』の道以外でも私は幸せになれる」と、自分では自分の道を信じられても、「両親に認めてもらいたい私」は私から無理矢理引きはがすことはできない。これからもそんな私とつきあっていくしかない。そんなことに気づいた出来事だった。

この出来事が2020年の年始に起きて、私はこれからも「つきあっていくしかない」何人もいる「私」をある意味で受け入れて生きていくことの覚悟ができた気がした。「親」という存在は私の中にずっとあるから。
まるごと認めて一緒に生きていくしかないのだ。

両親に認められたい「私」。理解しようとしてくれた親

それからもう一つ。
帰省から日常に戻ってからも、私はしばらく年始の出来事をひきずっていた。
取り組んでいる仕事のプロジェクト、シェアハウスという暮らし、今後やりたいと思っていたこと…そのすべてに、「親にとってどう見えるか」という視点が組み込まれてしまったのだ。娘の経済的な安定と良い家庭の獲得を願う親の視点。
それでもなんとか、普段の生活を取り戻しつつあるとき、親からLINEが届いた。新聞記事の写メから始まっていた。

「この店知ってる?会員制で場所をシェアするんだね」
「新世代の価値観は所有じゃないのかもというのは分かる」

私が親の視点を持って悶々としていた時、親は親で、たしかに「私の視点」を持って世界を見ようとしていたのだ。決して共感できてはいないけれど、それでも理解しようと試みていた。
それは、私には宝物のような事実だった。これから生きていくための救いだった。

「見えている世界」は絶対に人によって違う。何をよいと思うかも違う。たとえ、親と子であっても違う。
大事なのは、「自分の見えている世界」も認識したうえで、「相手の見えている世界」をちゃんと想像してコミュニケーションしていくことなんだと思う。それが、これからも自分と切り離せない・切り離したくない人なのであればなおさら。
そうして少しずつ歩み寄ったり話し合ったりして生きていくしかないのだ。私たちは。

こうして私の2020年は「どんな私も受け入れること」と「相手の見えている世界を想像すること」を心にとめるところから始まったのだった。