昨年の夏、両親が離婚した。熟年離婚だ。
原因は父親の不倫。母に不倫がバレた父は、相手と別れることは選ばず、私たち家族と別れることを選んだ。25年くらいの月日を家族で暮らした思い出深い実家は、知らない女性と元父親の家になった。

あまりにも呆気なく、虚しく、嫌なものがたくさん残った

もともとDVのある家庭だった。加害者は父親だ。この人は本当に典型的なDV男で、いい人と暴力を繰り返していた。子どもとしてはいい父親を信じたいから、そっちの父親を信じて一緒に生きていたけれど、あれがいわゆる洗脳で、麻痺だったのかなぁ、なんて今更思う。

殴られ蹴られ、それでも私たちは20数年もの間、家族であり続けた。父親がいい人のときはいい家族だったから、あったかい思い出もあるにはあって、例えばクリスマスのパーティーとか、長距離のドライブとか。でもそれを思い出すといろいろ混乱して余計にしんどくなる。許す許さない、憎む憎まない、どこにも辿り着けなくて、ただ疲れてしまう。

母は私たちと同じ被害者だった。父から逃げられなかった人。どこかに助けを求めて保護してもらっていたら、彼女も私たち子どもも傷は浅かっただろうと思うけれど、だからと言って責めるつもりはこれっぽっちもない。

そんな母、私が高校生のころに不倫をしていた。そのときのことはすごく鮮明に覚えている。父の暴力より、暴言より、はっきり心が傷んだ。逃げたい母の気持ちは理解できるからこそ、「私を置いてどこかへ行くのかな」「どこかへ行きたいけど私が邪魔なんだろうな」と思った。母は何も言わなかったし、私も何も言えなかった。後にこの不倫は父にバレて、修羅場を迎えてなかったことになった。

最初からガタガタの、歪な家族だった。正直いつ崩れてもおかしくはなかったのだけれど、いざその時を迎えて、改めていろいろと蘇った。私たち家族のエンディングはこれしかなかったんだろうか。あまりにも呆気なく、虚しく、嫌なものがたくさん残った。後悔だとか怒りだとかが、昔の記憶と一緒にどうしようもなく込み上げてくる日々が続いた。

吐き出すことで、自分の過去と感情に向き合って頭の中を整理出来た

そんな中で、私は「吐き出す」ことを覚えた。
家庭環境が故に、幼い頃から親は相談相手にならず、理不尽に抑圧されることが多かったせいか、もともと誰かに何かを伝えるということが苦手だった。他人と家族の話になったときにも「いろいろある家族」みたいにぼかして伝えることはあったけれど、今でもフラッシュバックする虐待のこと、彼らに対する嫌悪感や不信感をどこかで誰かに話したことは、今までなかった。なんか抱えてる面倒臭いヤツだと思われるのは嫌だったし、育った環境の劣悪さを晒すことで自分を見る目が変わることも怖かったし、話したところで何か変わるわけでもないと諦めていた。まぁそれなりの家庭で可もなく不可もなく普通に生きてきました、そして今現在も普通に生きています、という真人間の私を、誰に対してもどこにいても見せてきたつもりだ。

そういうのをやめた。SNSなんかで正直に吐き出すだけでも、自分の過去と感情に向き合うことが出来て頭の中をだいぶ整理出来た。
何より、話を聞いてくれて、且つそばにいてくれようとする友人の存在を知った。実家が帰れない場所になったことを話せば「いつでもうちにおいでよ」と言ってくれた。傷付きながらも前に進み続け、生きてきたことを褒めてくれた。
ずっと背負い続けていた荷が、音を立てて地面に落ちた。

無理して抱え込む必要もない。吐きたい時には吐けばいい

晒したくないものを無理に晒すことはない。抱えながら生きることも選択肢のひとつだ。けれど、無理して抱え込む必要もない。吐きたい時には吐けばいい。嫌な記憶が消えることは一生ないにしても、これからも苦しめられるとしても、それを覆い隠す方法はあるはずだ。どこかで見つかるはずだ。脆くとも、何度躓いても、その都度足掻きながら、見つけながら、生きていければいいと思う。