年が明けた。
2020年、区切りがいい、響きがいい、心地がいい。
今年はもっと、もっともっと、素敵なわたしになろう。

またそう意気込んでから、もうすぐひと月が経つ。
早い。
とてつもなく、早い。

なんにもしてない、できてない。
12枚しかないカレンダーの、最初の1ページが、早くも役割を終えようとしているのに。
きっと2020年も、こんな風にばたばたと毎日を生き抜いてる間に、猛烈なスピードで過去へと形を変えてしまうんだね。

新しいわたしを生きたいと願った。

小さい頃から、自分がきらいで仕方なかった。

もっと可愛かったら。
もっと勉強ができたら。
もっと上手に泳げたら。

足りない自分、満たされない自分、下手くそな自分。
なんてだめな奴なんだ、と。
今のわたしじゃだめなんだ、と。

だれかと比べて落ち込んで、羨ましくて、妬ましかった。
昨日までの自分を全部なかったことにして、新しいわたしを生きたいと願った。
わたしじゃないわたしを、生きたいと。
そう願わない日は、なかった。

未熟な自分と、向き合い続ける。

ランドセルを背負って歩いた、6年間。
机の半分を占めるお道具箱を、毎日のように家に持ち帰った。
自分の机とロッカーと靴箱を、持参した雑巾で掃除しまくった。
使いかけのノートを全部、新しいものに変えた日もあった。
今日までのわたしの痕跡を、跡形もなく消し去るために。
明日からは、新しい自分を生きれるように。

だけど。
そんなことをしても、わたしはわたしでしか、生きることができなかった。
それは、25歳になった2020年のわたしも、変わらない。

今でも、時々おもう。
今までのわたしを、リセットしたいと。
家にあるものを全部捨てて、だれも知らない場所で、全く新しい仕事をして、別の人生を生きれたら。
どんな気分だろうか。

いや、たぶん、きっと、それでも。
わたしは、わたしのまんまだ。
どうしようもなく、わたしのまんまなんだ。
ランドセルにお道具箱を押し込んでいた、あの頃と変わらず。

未熟な自分と、向き合い続けるしかない。
逃げても、いいとおもう。
ただ、生きることを諦めずにいれたら。
いつかきっと、わたしはわたしになれるはず。

肩肘張らずに、生きていく。

2020年の、目標は。
目標を、定めすぎないこと。

高すぎる目標も、達成できなかった自己嫌悪も。
わたしにはもう、必要ないから。

肩肘張らずに、ゆるく生きていく。
と意気込んでいる、2020年。

ゆるく生きれるかもしれないと知った、25歳。
少しだけ、ほんの少しだけ、前に進めてるかもしれないね。