私は家族から「お姉ちゃん」と呼ばれたことがない。長女、長子として生まれた瞬間から、両親はもちろん、2歳下の弟、親戚一同、誰一人として私のことを「お姉ちゃん」と呼ばないのだ。約30年間、下の名前にちゃん付けで呼ばれている。

いろんなものが欠落している私は「お姉ちゃん枠」から外されてしまったのか

かつては「お姉ちゃん」と呼ばれることに猛烈な憧れを抱いていた。手先が不器用でスカートが嫌いで活発で青いものが大好き。今でこそ何とも思わないが、幼い頃は、学校生活を中心に、私の特性をとがめられることが増えるにつれて、自分には「女性らしさ」が足りないのだと思った。なかでも「お姉ちゃん」は、家庭という女性の象徴的環境で信頼と実績を積んだものに与えられる称号のように見えていたのだ。長女として、女性として、いろんなものが欠落している私は「お姉ちゃん枠」から外されてしまったため、名前でしか呼ばれないのではないだろうか。

「お姉ちゃん」と呼ばれたい。小学4年生だった私は「お姉ちゃん計画」というノートを作成し、世の中を席巻している「お姉ちゃん」たちがやりそうなことを試した。スカートを履いてみたり、家の掃除をしてみたり、祖母から買い与えられたものの、一生使わないであろうと思っていた子供用のネイルをつけてみたり、料理を作ってみたり。しかし、どれもやればやるほど私の思う「お姉ちゃん」が遠ざかり、窮屈で息苦しくなっていった。それでも、母親に三つ編みにされてもほどかずに我慢するなど「お姉ちゃん計画」の通りに行動しつづけたが、しまいには生まれて初めての片頭痛に襲われ、ノートを放り投げて寝込む羽目になった。

「お姉ちゃん」を拒否していたのは私だった

自分が「お姉ちゃん」になれない事実を受け入れられず、自分は何をやってもダメなのだろうか?とひどく落ち込んだ。強い劣等感に苛まれた私は、母に思い切って「なんで私を『お姉ちゃん』と呼ばないの?やっぱり女の子っぽくないから?」と聞いてみた。

すると、母は涙目になるほど腹を抱えて笑いだした。普段は笑い上戸の私も、この時ばかりは、こちとらアンタに「お姉ちゃん」と呼ばれないことに真摯に向き合っているのだ、ちゃんと答えてくれ、と母親の大爆笑には付き合いきれず、真顔で黙っていた。ひとしきりしてから、母が「アンタね」と切り出した。「2歳のアンタに『将来、お姉ちゃんって呼ばれたい?』って聞いたら、『ぜったい嫌だ』って言ったのよ」と言われた。

「お姉ちゃん」を拒否していたのは私だったという事実に面食らっていると、母がたたみかけるように「年上だからって名前を取っちゃうのもかわいそうだと思ったの。アンタはアンタで、お母さんの子どもでしょ」と言ってほほ笑んだ。私の中で張りつめていた糸がパチン、と音を立てて切れ、私もつられて笑った。

一人の人間であることを2歳の時の私は自覚していたのだろうか

自分が「お姉ちゃん」である以前に、「長女」である以前に、私は私。一人の人間であることを2歳の時の私は自覚していたのだろうか、ただの天邪鬼だったのだろうか。いずれにせよ、お気に入りのジャージを着て料理の苦手な母が温めたレトルトカレーを食べながら、私の中に絡みついていた「お姉ちゃん」というジレンマが初めて緩んだ瞬間だった。