小学生の頃、なりたい仕事が想像できなくて、非現実的だといわれるかもしれないけれど魔法使いになりたかった。

小学校の図書館には色でシリーズになった童話集が十数冊くらいシリーズで置かれていて、私のお気に入りだった。
童話や民話たちに出てくる、姫を助けたり邪魔したりする魔法使いや妖精は自力で移動ができるし、窮地の時に何もないところから魔法でものを出せるから、私にとっては最強の存在だった。憧れてた。

私は、強くなりたかったのだと思う。
当時親の力というものは絶大で。両親は本を読んだり遊んだりしたかった私を、毎週好きではない塾やピアノなどの習い事に行かせて机に縛り付けた。私はそれが嫌で、それから抜け出したかったから、自力で生きる術が欲しかった。

年頃の皆は、先生になりたいとか医者になりたいとか言っていたが、私はあくまで自分のために生きたいと思っていた。困っている人を助けて満足するタチじゃない。そこまでボランティア精神に溢れてない。私は利己的だから、もっと自分を表現する形で生きたい。現実的に妥協するならたとえば小説家とか、劇作家とか。
でもきっと、それじゃ稼げない。

モテを求めるのをやめたら、生き抜けないのでは?と思う現実があった

母親が毎週日曜朝のワンピースのアニメをずっと観ていて、私もつられて観ていた。ナミになりたかった。可愛くて、男キャラを悩殺して、言葉の駆け引きで敵を惑わすことができるナミは、弱くても戦えるんだ!と私に希望を与えた。
男社会で体力勝負のこの社会でも、女は色仕掛けで互角に立てる。
玉の輿という言葉がある。それを狙っていた。
弱くても、男に守ってもらえばいい。自分に忠誠を誓って守ってくれる男を色仕掛けで作ればいいんだ。そう思った。そう思って、モテテクを極めた。

でも、これを読む層の皆様はたぶんご存じの通り、モテテクは自分を下に見せて支配欲を燻らせる人を引き寄せるツールだ。
モテテクユーザーは相手にとって都合よく自尊心と支配欲を高めてくれる存在にすぎない。つまり、モテテクを使ったところで得られるのは限定的な自由と庇護であって、「なにがあっても全肯定で守り抜く」などされないのだ。

弱くかわいく愛くるしくの仮面を被った私は、17歳年上の彼氏にレイプされ、モラハラ被害を受けてぼろぼろになって初めて、「なんだ、大事にされないじゃん」と悟った。(言っておくが10代の認識なんてそんなもんだ。)
モテを求めるのをやめようとした。でもどうしてすぐにやめれなかったのかというと、それじゃ生き抜けないのでは?と思う現実があったからだ。

一人で生きたかった。でもその願いは現実的ではなかった

現実問題、日本の男女の平均収入格差はえげつない。偉くてお金もいっぱい貰えるであろう主要な仕事には女性の姿はほとんどない。
私の母は、父と結婚して会社を辞め、自立するにも収入が足りずに彼に養われている。

魔法使いになりたかった。一人で生きたかった。でも魔法使いというファンタジーの世界の言葉が表す通り、その願いは現実的ではなかった。

少なくとも私にとっては。

私の友達に、親がシングルマザーの家庭の人がいる。離婚したのだと聞いた。
私は女手一つで子供を養って育てる覚悟で離婚を選んだ彼女の母を、格好いいと思った。
そんな母の元で育った娘は将来を悲観していない。
育った環境なんて二次的要素で一番はその人の性格や考え方なのだろうと思うけれど。でも、身の回りしかも身近に独立した女性のロールモデルがいるなんて羨ましいなと感じてしまう。

とにかく可愛くて強ければ最強だよね、と思ってしまう

一人で生きたい。男性と結婚したくない。家父長制を温存した社会で苗字を奪われ尊厳を奪われ誰かに従属する形で生きたくない。
女らしさは奴隷らしさという言葉をきいた。本当にそうだと思う。私は奴隷になりたくない。

でも、自分にできることがわからない。出来るよ、と生まれた頃から格好いいロールモデル達にエンパワメントされる男子たちとはわけが違う。
将来を思い描く理想のロールモデルがいない。
例えば将来私がフェミニズムを訴えて、社会運動をしてアクティビストになって。そしたら私に何が残る?どうやって収入を得たらいい?

不安だ。
そもそも私たちは、今なお女性だから多浪生だからで自分の能力が正当に評価されない社会に生きている。

どうやって生きたらいい?

とにかく可愛くて強ければ最強だよね、と思ってしまう境地にまだ立っている。
可愛さを捨てるのが惜しい。