ある時、周りの友達のSNSの投稿が、飲み会で乾杯している動画から、ゼミ決まった(泣き顔の絵文字)というメール画面のスクリーンショットに変わった。中にはもう就活を始めている人もいる。私は留学先のノルウェーから、複雑な気持ちで画面を見つめていた。もうすぐ三回生になる今、ゼミに入らないで、インターンもせず、ましてや就活なんて、と思いながら留学している私は遅れているのだろうか?でも、遅れていたとして何から?

世間の普通に合わせようとして、自分が欲しいものがわからなくなった

大学生になって、自分の将来について考えることが多くなった。そしていつも、自分の将来を考える度に、不安な気持ちが付きまとうようになったのはいつからだろうとぼんやり考える。

小さい頃は夢なんてたくさんあった。ある時は盲導犬の訓練士、ある時は女優、またある時は通訳。夢が変わる度、毎回両親に大きくなったらこれになる!と宣言していたことを覚えている。不安なんて何もなくて、夢を語るのが楽しかった。いつも自分が欲しいものがわかっていた。中学、高校生のとき進路を選ぶのだって、自分が何をしたいか、どんな環境で勉強したいか、何もかもが確かだった。

自分の気持ちに従うだけで決断できていたのに。今は違う。今は周りと比べて、世間の普通に合わせようとして、本当に自分が欲しいものがわからなくなってしまった。そんなに難しいことじゃないはずなのに、自分の考えと周りの考えにがんじがらめになって身動きが取れなくなった。

私も勉強を終えてから就活をしたい

一回生の時から、たった四年の間に自分の将来を決めるなんてどうかしてる、と思っていた。それも、三回生のうちに就活を始めるのが一般的だというからなおさらだ。
私はいつも、勉強するために一生懸命勉強して入学した大学で、四年間勉強するのではなくて就活も同時並行でするというのが腑に落ちなかった。どうしても今後の自分の人生を左右する決断を下すのを片手間でやるように思えてしまうのだ。

もちろん中には自分がやりたいことがはっきりとわかっている人もいるだろう。ただ、私が思うのは、私のように今後何がやりたいのかわかってもいない人が、それが普通だからと半ば流されるようになんとなくで就活をせざるを得なくなってしまうのではないかということだ。そうして流されるまま、世間の普通に合わせて、こんなはずじゃなかったのにと後悔する人生を送りたくはない。

そんな風に悩みながら、半ば考えることから逃げるようにノルウェーに交換留学することを決めた。日本人のいない、新しい環境でたくさんの人や考え方に出会った。その中の一つはノルウェーでは、就活は卒業してからするのが一般的で、就職しても転職したり社会人になってから大学に戻って勉強したりするのもよくある話だということ。実際私のクラスにも35歳以上の人が3人以上いる。

そんな新しい環境で見聞きしたことに触れるうち、日本にいた時から感じていた想いは強くなる一方だった。留学してその国に染まってしまうなんていうのはよく聞く話ではあるが、それでも、私も勉強を終えてから就活をしたいという日本を発つ前からくすぶっていた気持ちがどんどん大きくなっていった。

自分が思うように生きて、自分の行動に責任を取れる人間になりたい

卒業してすぐ就活に挑まないでノルウェーでもっと勉強したい。そして自分が学んできたことを反芻する時間をとって、自分のやりたいこと見つけて、自分が幸せだと思える人生を送りたい。こんな風に考えている私はあまりにも世間を知らなすぎるのだろうか。はたまた過剰に心配しすぎているのだろうか。

そんなことを考えながら、日々を過ごしていく中である日洗顔フォームを泡だてながら、突然、ある考えがよぎった。何をするにも、多くの人に通用するかしないかではなくて自分の信念を貫いて生きるべきではないかと。もしかしたら後で読み返すととんでもなく青いことを言っていると寒気がするかもしれない。ありきたりな、綺麗事を言っているだけかもしれない。それでも、周りに流されてやっぱりこうすればよかったと、周りを責める人間にはなりたくない。それなら、自分が思うように生きて、自分の行動に責任を取れる人間になりたい。

世間の普通から外れたとしても、流れに乗らないという選択をしても、自分の信念を強く持っていれば生き抜けると思いたい。成人式を迎えて、まだ学生ではあるけれど、大人の入り口へと立った今のこの気持ちを忘れたくはない。