ミスコン候補者のツイッターアカウントを見ると、胸がウッ...と苦しくなる現象に悩まされていた。

それは、ミスコンという存在を認識した小学生くらいから、社会に出て働き始めた最近まで続いていた。

ミスコン女子に対する劣等感、羨望、焦り

なぜ、ミスコンの女子を見ると苦しいのか。

何度も分析を重ねた結果、理由は下記の通りに落ち着いた。

・可愛い...悔しい...わたしはああはなれないという劣等感。

・色んな人から応援されて魅力を競い、その中で勝てたら超~気持ちいいだろうな!という安直な羨望。

・ミスコン女子がこんなに可愛いの規範とされ、大勢の男子から支持されるということは、私が好きになった男子もその可能性が高いのでは、という焦り。

これと似た話で、待ち受け画面に吉岡里帆さんを設定している親友がいるのだが、好きなのかと聞いたら「好き。でもあざとくて嫌い。でもこんな風になりたくて、待ち受けにしている」という回答が得られたというのがある。

なるほど、わからん。と思った。

吉岡里帆さんは一ミリも悪くないのだが、自分にはない「あざとさ」を備えていて苦手!と思う人物をなぜ待ち受けにするのかわからなかった。

本当は自分がどうなりたいのかなんて答えは出ていた

私には、世間的に圧倒的強さを誇る「ミスコン王道カワイイ」になりたい時期があった。今思えば、彼女たちの見ためが羨ましかったのではなく、その愛されポジションが欲しかったのかもしれない。とにかく世間の大多数に認められたかったのだと思う。
(ちなみに、今でも世間に認められたいという気持ちはある。が、その手段は仕事や趣味へと分散し、ミスコンには固執しなくなった。大学を出たのも大きいと思う。)

その一方で、私はロリィタファッションにもハマっていた。

赤やピンク、スイーツやテディベアといったモチーフのロリィタではなく、紺やこげ茶、柄は控えめでリボンとレース、落ち着いた色合いだけどデザインは昔の貴族のようで豪華、といったロリータ服が好きだった。気品があって、カワイイというよりも美しい、そんな現代のレディになりたかった。

当時の私の髪型はひとめで「そういうタイプか」と思われがちな、"黒髪ロングの姫カット"。切りに行った時は美容師さんに3回くらい「いいんですね?」と確認された。

つまり、本当は自分がどうなりたいのかなんて答えは出ていたのだ。

そして、わたしはそんな自分を高く評価していた。

目力が鋭くて挑戦的なキリッとした顔も、ロリータ服が似合う小柄でスレンダーな体型も、好きだと思っている。低い鼻とやや出っ歯なとこは嫌だけど。

でも、そんな最高な自分は世の中のカワイイのレールからは外れてて、この社会におけるコンテストのような場では決して選ばれない、ということはわかっていた。

内面においても、自分のことを「最高だ!」と思っていながらそれを表に出さず、
「わたしなんて全然...皆様に魅力を評価していただけるようもっと頑張ります!」
という態度が"カワイイ"ことはわかっているのに、

「でしょ?最高でしょ?もっと褒めてくれてもいいんだよ?」
と思ってしまうし、それを表に出さずにはいられない。

謙遜するのは自分らしくなくて、試しにいっぺん謙遜してみたらなんだか全身が痒くなってきた。

ミスコンは「私は可愛いし、魅力ある人間だ!」という自信を砕く

現在は髪型は姫カットは卒業し、ロリィタもたまに楽しむ趣味になってしまったが、やはり自分のなりたい自分と、世の中的に圧倒的に支持される女子像とのギャップに納得がいっていない。

母親には「それはアンタが自分で自分のことを可愛いと思ってて、ミスコンで戦えるレベルだと自惚れているから言えることだ」と言われる。

一理ある。

あのコンテストは、自分の中に確かにあった「私は可愛いし、魅力ある人間だ!」という自信を砕かれてしまうから、苦しくなるのだ。

ふと、ミスコン女子は何を思って出場しているんだろうかということが気になっていたところ、
ミスコンに出たがために不登校になってしまったという友人の話をきいた。

ツイッターでの誹謗中傷、隙を見せられないプレッシャーなど諸々がその子を苦しめ、キラキラしていて将来の成功への切符だと思っていたミスコンをきっかけに、鬱状態になってしまったとのことだった。

なんてことだ...と思った。

ミスコンは、どれだけミスコンっぽくなれるかを競うもの

最近は、ミスコンを行わないという大学も出ている。美の基準は一つでないという考え方が世界的に広まりつつある。

ミスコンを撲滅しろ!とは流石に思わないが、どれだけミスコンっぽくなれるかを競うミスコンは、そろそろ時代と合わなくなっている気がする。

また、ミスコン女子同士のワイワイした写真に、これは裏では足を引っ張りあっているに違いない、ドロドロしているに違いない、というツッコミがよく見受けられるのも好かない。

Amazonプライムで話題をさらった「バチェラー」でも、途中からは出場者の間に芽生えた友情にばかり注目してしまったが、ミスコンに出てる女子同士、いいライバルといえる関係やシスターフッドが芽生えることはあるだろう。

一律の美の基準で競い、
謙虚にカワイイ振る舞いをし、
でも裏ではドロドロしていてほしいと思われ、
彼女たちも大変なんだな、という感想を抱く。

誰かの作った美の基準に振り回されているほど、人生は暇じゃない

最近では、宇垣美里さんの「人には人の地獄がある」という言葉を噛みしめながら、タイムラインを流れていくミスコン出場者のオフショットを眺めている。

もう、彼女たちに対する羨望の眼差しや妬みの気持ち、劣等感は消えており、純粋に「可愛い!自分の見せ方がわかっていらっしゃる!」と声援を送れるようになった。

自分が"ミスコン女子"にコンプレックスを抱くのはなぜなのか、
何がそうさせているのか、
そもそも私って誰に好かれたいんだっけ?自分自身に?それとも好きな人?
不特定多数に好かれて、その後何をどうしたいの?

本質を見失わずに今日も自信たっぷりに振る舞おう。

誰かの作った美の基準に振り回されているほど、人生は暇じゃないのだ、と自分に言い聞かせている。