我が家には、私が赤ちゃん返りした決定的瞬間映像が残っている。妹が生まれて母と家に帰ってきた時に撮影されたホームビデオの映像だ。生まれたばかりの妹の頭を母、父、祖母が順に撫でる。当時、一歳半の私は愛用している河童のぬいぐるみを抱きしめながら、しげしげと様子を伺う。「○○ちゃん(私の名前)もよしよししてあげなさい」祖母が言った。私は渋々、恐る恐ると妹の頭を撫でる。次に河童の頭の皿をなでなで。そして、祖母と母に向かってつむじを向ける。「私もよしよしして!」映像はそこで終わる。
思えば、この時から思春期にかけては典型的な「お姉ちゃんだからしっかりしなさい」「お姉ちゃんだから妹を守りなさい、可愛がりなさい」という呪いに掛けられていたかもしれない。姉妹で習っていたピアノも水泳も英語も習字も、負けてはいけないと妹より常に上の級にいた。妹が学校で忘れ物をしたら鍵盤ハーモニカ、絵の具、体操服、書道道具等々貸した。時には思いっきり甘えたいのを堪えて、小学校時代までは「お姉ちゃん」をやっていた。
「お姉ちゃん」の仮面はちょっとずつ剥がれていった
中学で姉妹で同じ吹奏楽部に入学した時、「お姉ちゃん」の仮面はちょっと剥がれる。妹が夏前に練習をちょっとずつサボるようになった。原因は「スカートは折らない、膝下にする」という部内のルールが気に食わなかったらしい。既にその前から、妹は週に一度のピアノ教室でも「もうクラシックはつまらん。練習も嫌い。バンドとかアイドルとかそういう音楽がやりたい」と言っていたから、私は正直、妹にはこの学校の吹奏楽部無理だろうなと薄々感じていた。
先輩や同級生から、妹に私から注意するよう言われる。「でも妹は妹で、私は私だから」ずっと無視していたら、同級生の一人に言われてしまった。「お姉ちゃんなんだから、妹注意できるでしょう?」カチンときて、思わず怒鳴った。「同じ血の繋がった姉妹でも性格も好みも考え方も全然違うんだよ!!私とあの子は違うの!!一人っ子のお前に分かるか!!!」
大学受験の時にも「お姉ちゃん」の仮面はペリペリっと捲れる。進路について、学年最下位の模試結果を挟んで担任と二者面談した。「私は年子の長女なので浪人は出来ないです。親の負担かかるし、国公立に行きたいんですけど」「今は国公立も私立もそんなに学費変わらんで。奨学金、こんだけいっぱい色んなとこから申し込みできるし。やりたい事我慢すな」結局、担任の一言であっさりと奨学金を借りて私立に行く事になった。その一年後、私の学費の2、3倍かかる大学に妹が入学して両親には結局金銭的負担を掛けてしまうのだが。
「お姉ちゃんだからって出来ない事があっても大丈夫。よしよし」
大学を卒業して社会人になると、もう「お姉ちゃん」の仮面はとうに無くなったものだと思っていた。妹とはお互いに「友達のように気を使わなくてよい非常に楽な存在」である為、買い物や趣味のイベントにはしょっちゅう連れまわす。
近年の私は、幼少期に考えられないくらい自身に対して「よしよし」している。そのツケが回ってきたのであろうか。親や世間から「お姉ちゃんなのに?」「お姉ちゃんのくせに?」とみられることがしばしばある。
例えば、私は一人暮らしを半年ちょっとで体調を崩しリタイアした。原因は職場で色々あるが長くなるのと、言い訳になるので割愛する。一方の妹は私が使わなくなった家具家電(全部私のお金で買ったんだけど…)を持って、家を出てもう1年が過ぎた。両親からは「あんたはいつ家を出るの?」「妹は一人で掃除も洗濯もご飯もやってて偉いわねぇ、それに比べて…」と圧を掛けられる。友人との会話の中でも、私が実家暮らしで妹が一人暮らしと知ると違う話題に変わる。
将来的に私は実家を出たいと考えているものの、今のところ目途はまだ残念ながら立っていない。しばらくは世の中の「お姉ちゃん」の偏見に、「私は私。お姉ちゃんだからって出来ない事があっても大丈夫。よしよし」と呪文を唱えながら抗う日々が続きそうだ。