「姉だから、妹を守らなくてはいけない」

そう、私がこの世に生まれて2年目の冬に、小さくてふにゃふにゃの妹を連れた母にそう言われた。わたしは、どうやらお姉ちゃん、というものになったらしい。

姉の私は、とても慎重で臆病者。マイペースと言えばそうだけれど、空気はとても読めた。だからこそ、2児の母となった我が母の顔色を窺っては、わたしは進んで妹の世話を名乗り出た。母の代わりに妹のミルクをあげたり、オムツを替えれば「りと、ありがとう!」「りと、とても上手!次もお願いね」と、母はとても喜んでくれた。妹を見てあげればあげるほど、母は「私」を見てくれた。

今でこそ私も母親なので、母親の気を引きたい長男長女が赤ちゃん返りになるのを聞くのだが、私の場合は母のご機嫌をとること、母の手伝いをして認めてもらう事こそが、私にとっての母の気を引く手段だったのだと思う。我ながら健気だと、ちょっと自分を抱き締めたくなった。

妹が憎くて仕方なくて、でもそう思う自分がもっと嫌で堪らなかった

幼い頃、私の持つもので妹が欲しがるものは何でも譲った。食べることが好きだったわたしが、友人からお土産にもらったチョコレートを自室の机に隠しておいたものを、妹が勝手に盗んで食べても、結局は許した。母が妹に手伝いを請うているのに妹はやらず、それに対していら立つ母が見たくなくて妹の代わりに私が手伝った。

私は、家族全員仲良く穏やかに過ごす時間が好きだった。だからこそ、家族皆の顔色や気持ちを汲んで生活していた。なのに、妹は自由奔放。いつも自分の気持ちが最優先。嫌なことがあれば、すぐ自室に閉じこもり口をきかない。それでも困ったことがあれば「お姉ちゃん」と泣きついてくる。なんなの?そう何度も思ったけれど、母との「約束」があったから、その時は手を差し伸べた。

そんな妹だから、ちょっとでも母の手伝いをすれば驚くほど褒められていた。学校から帰り進んで宿題や勉強をすれば、夜食を出して褒めたたえ妹を鼓舞する母がいた。同じことをしても、姉の私は褒められないのに、鼓舞されないのに。この差はなんなんだ。そう、私は何度も思った。思春期の時には、妹が憎くて仕方なくて、でもそう思う自分がもっと嫌で堪らなかった。

私は私自身の為に「妹を守った」のだ

母との約束は、私の中で絶対であったので、どんな時も「妹を守ること」だけはずっと意識していた。それがいつしか、「守る」ではなく「甘やかす」ことになっていたことに気が付いたのは最近のこと。妹が結婚し嫁いでからだった。

妹は義両親と同居で暮らしているのだが、彼女は義母に不満が溜まる度に泣きながら電話をしてきたり、実家に転がり込んでいた。今までずっと姉の私が、妹自身で乗り越えなくてはいけない壁を越えるのに手を貸してしまったから、妹は自ら壁にぶつかり乗り越えていく方法を知らないのだ。

わたしは、最初こそ「妹を守る」約束をさせた母を恨んだ。けれどそれは違うと、すぐに気づいた。同時に、自分の頑固さと不器用さを思い知った。結局、私は私自身の為に「妹を守った」のだ。それは私の母に愛される為のエゴだったと。

周りを見ず自分の思うがままに生きる妹が羨ましかった

姉。辞書を引けば、同じ親から生まれた年上の女子、とある。ただ、それだけだ。
私たち姉妹は同じように不器用だけれど、正反対の性格をしている。だからこそ余計に、私は周りを見ず自分の思うがままに生きる妹が羨ましかった。妹のように、母にたくさん褒めて、声をかけて貰いたかったのだ。私は、どんな時でも素直に自分が出せる妹のことが、今でも羨ましい。