感じがいいと思っているはずの人なのに、その人がめがねをかけていたかどうかが思い出せない。長年信頼している上司で、親なんかよりもずっと尊敬している人の場合でさえそうなのだから、自分の事ながら呆れてしまう。私は冷たい人間かもしれない。別れを告げたとき(私に言わせればもう本当に我慢の限界に達し、決死の覚悟で告げたのだが)、冷たいと男になじられたことが、そういえば何度かあった気がする。
何というか、10代前半の頃からもうすでにそうなのだが、私は近時の出来事が思い出せない。
朝ごはんは食べないので内容を思い起こす機会もないが、先週末の出来事はもちろんのこと、たとえば昨日の夜ごはん、半日前に寝た相手の呼び方、今日の午前中に何をしたかさえ、しばらくの間考えるか手帳に書いてあるかしなければすぐには思い出せない。服にはこだわりを持っているのだが、クローゼットの中から今朝選んだ服を選べと言われても多分選べない。
運命の恋をすると一日中その人のことばかり考えてるタイプ
これが彼女のめがねならば、もちろん私はすぐに思い出せる。彼女の初めてのめがねが何色だったか(隣町のめがね屋で、やはり視力の悪い父親と一緒に検査を受けた上で選んだ。冬で、めがねをかけた頬が少し乾燥していた)、何年生から何年生までかけていたか、コンタクトレンズにした理由、いちばん最近会ったときめがねをかけていたかどうか。それどころか何色の眼鏡ケースだったのか、コンタクトが2weekなこととそれにまつわるいくつもの他愛ないエピソード、彼女の引っ越したばかりのアパートのどこにそれが置いてあったかさえも思い出せる。
先日、新しいめがねを求めて表参道のめがね屋に入ったところ、棚の中段に彼女に似合いそうなめがねがあった。私は静かに置かれているその美しいめがねから、どうしても目が離せなくなってしまった。親切な店員がめがねの説明をしてくれたが、試すわけでもないそのめがねをずっと見ている私を不審に思ったかもしれない。
私は結局何も買い物をせずにその店を出たが、彼女の小さな鼻(私のそれとほぼ同じ鼻。よく赤くなる)に乗っかったそのめがねのイメージが、しばらく頭に浮かんでいた。
ツインソウルかなんて分かんないけど"カタワレ"であることは確か
彼女とはなれて暮らして10年が経つ。年に数回は会い、数回は電話をする。私はいちばん最近の彼女が話していたことを、ときどき思い返しては幸福を呼び戻している。
私たちは年子なので、片方だけがこの世にいた時間というのが1年7ヶ月だけ存在する。0歳と1歳の時から、17年のあいだ一緒に暮らしていた。私は8歳の彼女も13歳の彼女も、その頃彼女のすぐそばで生きていた自分が考えていたことも、かなりたくさん覚えている。まるで自分自身の人生のように。
17年間。自分の姿は鏡で見なければ見えないが、自分の代わりに彼女のことを、いつもいつも見ていたのだろう。思春期の頃は、彼女のふくらはぎと自分のそれがどっちが細いかや、彼女の選ぶ持ち物と自分の物を、見比べてばかりいた。
どこだって何でも良いけどあなたに幸せに生きててほしいだけ
私たちは似ているが、同じではない。自分の体を特別愛しいとは思わないように、私は彼女のそれを特別愛しいと思っているわけではないと思う。だけど私は彼女の顔のすべて、唇や歯並びや、細く小さい手、前腕のほくろや背骨の形まで、すぐに思い描くことができる(それらは私のそれと、特に異なる箇所だから)。運命の恋の相手みたいに。
私たちは何歳まで生きるだろうか。双子ではないから、それぞれちがうタイミングでちがう病気を患うのだろうか。それでもどちらかが死ぬときまで、共に同じ時代を見、それについて話せる時間を思うと、幸福だと思う。