私は長女として生まれ、二人の弟がいる。
だが、二人の弟からは“お姉ちゃん”と呼ばれたことはない。
名前(呼び捨て)で呼び合う。これが私の家族のルール。
決めたのは母。
長女として生まれた母は、なにかと「お姉ちゃんなんだから」と、プレッシャーをかけられることがしんどかったらしく、少しでも“姉・兄”というプレッシャーをなくすために名前で呼び合うことにしたらしい。
その甲斐あって、家族から「お姉ちゃんなんだから」と言われたことはないし、いい意味で対等で自由だった。
少しずつ確実に作られた、“お姉ちゃんとはこうあるべき”という像
ただ、友達の家に遊びに行ったときに出会う、友達の“お姉ちゃん”やアニメやドラマで出てくる“お姉ちゃん”を見るたびに少しずつ、でも確実に、私の中に“お姉ちゃんとはこうあるべき”という像が作られるようになった。
勉強は平均以上が当たり前
運動もできて当然
明るく元気でいること
なんでも要領よく、ソツなくできること
周りから頼りにされること
年下にはやさしくすること
こんな感じで自分で自分に“お姉ちゃん”という役割を課し、それらしく振舞うようになった。
今振り返ると、友達のお姉ちゃんが“お姉ちゃん”と呼ばれているのを見て、憧れを感じていたんだと思う。
私だってお姉ちゃんなのに。憧れを感じていた、“お姉ちゃん”
友達のお姉ちゃんはちゃんと「お姉ちゃん」って呼ばれているのに、同じお姉ちゃんである私は、弟から「ゆい」となんの気兼ねもなく呼ばれている。ちっともお姉ちゃんっぽくないな。なんかイヤだな。私も“お姉ちゃん”って呼ばれたい。あんな風になりたい。
そう思った結果、“お姉ちゃん”らしくすれば、「お姉ちゃん」と呼ばれるようになるのではないか、と幼心なりに考えたんだと思う。そして“お姉ちゃん”でいるための努力をし、振る舞い続けた。
小学校、中学校までは自分で言うのもアレだけど、それなりに成績もよくて、陸上部に所属して、運動もできて、友達もたくさんいて……。と、私が思い描いていた“お姉ちゃん”だったと思う。
しかし、家族が私を「お姉ちゃん」と呼ぶことはなかったし、高校進学後は勉強につまずき、“お姉ちゃん”の条件である“勉強は平均以上が当たり前”ができなくなっていた。かといって、中学の頃から続けていた陸上部で何か結果を出したわけでもない。むしろ、『体育科』というスポーツに特化した学科に所属していた友達との実力の差にコンプレックスしか感じなかった。
そんな状況が続くと、余裕がなくなり、明るく元気でいることも難しくなってきた。“お姉ちゃん”の条件を全然クリアできていない。このままじゃダメなことはわかっているけど、勉強は難しすぎるし、部活も頑張っているけど周りに勝てない。どうにか“お姉ちゃん”を保てるようにと、姉弟の中では一番賢くいるために、弟たちには自分より賢い高校には進学してほしくない、と思ったこともある。そんなよこしまな思いが自分に返ってきたのか、大学受験にも失敗した。このときが一番“私、全然お姉ちゃんになれてない”と悲しくて虚しくて悔しい思いをした。
“全然お姉ちゃんになれてない”と悲しくて。でも、やっと気づけた
ただ、そこで「あれ?」と気づいたこともあった。
そう、誰も私のことを「お姉ちゃん」と呼んでいないことに。
“お姉ちゃんのあるべき姿”をつくったのは私自身で、家族はそれを求めていないことに。
開き直ったな、といえばそれまでだけど「もういいや」と吹っ切れたのも事実。
私は自分で縛った“お姉ちゃん”という呪いから解放された。
“こうあるべき”がなくなると余裕が生まれ、大学の勉強は楽しかったし、毎日が楽しくなった。
“自分で”というと聞こえがいいが、もしどこかのタイミングで家族から「お姉ちゃん」と呼ばれていたら、まだ呪いにかかったままだったかもしれないし、家族から求められるお姉ちゃんを演じ続けていたかもしれない。
小さい頃は母がつくった“名前で呼び合うルール”に納得がいかなかったけど、そのおかげで私は“お姉ちゃん”ではなく、“ゆい”というひとりの人間ということに気づくことができた。
将来、結婚してこどもを産んで姉妹ができたときは、名前で呼び合うルールを使ってみようと思う。「“お姉ちゃん”ではなく、あなたはあなたなんだよ」というメッセージを込めながら。