数日後には空っぽになるこの部屋で、私は4年前を思い出す。

試験の手応えからうすうす予想はしていたけれど、私は第一志望の国公立に落ちた。しかし、滑り止めにと思って受けた有名私立大学には既に落ちている。担任の先生は国公立の後期試験を受けることを進めてくれたものの、受かったとしてもとても行く気にはなれなかった。

そんなわけで、センター試験の結果だけで合格が決まっていた、滑り止めの滑り止め扱いだった大学に通うことを決めた。それが4年前のことだった。

あの頃は、誰かが言う「あー、ほんま◯◯大学入れてよかったわー」に一ミリも共感できず、「なんでこんなところに来てしまったんだろう」とうつむいて過ごしていたけれど、4年後、つまり現在、なんだかんだで大学生活は充実していたと胸を張って言うことができる。なんなら、この大学に入ってよかったなと思っている。

4年前の自分にそう言っても、第一志望でない大学へ行くことへのショックのせいでたぶん信じてくれないだろうけれど。

大学での学びはいつも私に新しい刺激を与えてくれた

充実を感じる理由の一つは、学びたいことを学べたことだ。

高校時代、漠然と社会学やメディア学に興味があったが、目指していた国公立には社会学部なるものがなかったため、近しい別の学部を受験していた。

しかし、入学した大学では偶然にも社会学やメディア学をがっつり学ぶ機会に恵まれた。そうなれば、受ける授業はどれも興味ドンピシャのものばかり。毎日の授業がどれも刺激的だった。

さらに、ジェンダーについて研究している先生の授業を聴き、「私が一番興味のある分野はこれだ!!」とまさしく雷に打たれたような衝撃を受け、その世界にのめり込んだ。

ジェンダーという概念を学べたことで、世の中の不条理や不平等に気づくことができ、さらにはそれが社会人としてどう社会貢献していくかを考えるときにも影響を及ぼした。

もし希望していた大学に行っていたら……大学での学びだけでなく、今後の人生も変わっていたかもしれない。

人付き合いに消極的な私。生涯の友と出会えたのはこの学校だったから

もう一つの理由は、気の合う友達に出会えたことだ。

ある友達とは、性格や物事に対する感覚が似ている。ゼミのことや恋愛のことなど、とにかく何でも喋ってきた。授業で聞いた話を真面目に議論したこともあったし、大変だった就活も励まし合って乗り越えた。腹心の友とはこのことかと思う。

ある友達は、夢に向かって邁進している姿が眩しい。そんな彼女は、私の書く文章が好きだと言ってくれている。ジャンルは違えど互いの実力を尊敬しあえる関係は、これまであまり経験がない。彼女を見ていると、自分も頑張ろうと励みになる。

演劇サークルで出会ったある友達らとは、それぞれ途中でサークルを辞めた後も、一緒に演劇の公演を打つなど交流が続いている。また、私も彼らも小説を書くことを趣味にしているので、会えば必ず創作について熱く語りあっている。

大学時代に関わった人はたくさんいるけれど、非社交的であまり人と仲良くなることに積極的になれない私には、友達と呼べる人は片手ほどもいない。複数人で談笑している人たちをキャンパス内で見かけると、友達が少ないことは自分の欠点だと思っていた。でも少ないからこそ深い付き合いができるのだと、彼ら彼女らと付き合う中で気づいた。

どの友達とも、4月からは離ればなれになる。でも、どの友達とも「また会おうね」「遊びに行くね、遊びに来てね」と笑い合った。これからも付き合っていきたいと思える友達と出会えたことは、きっと、すごく貴重なことなのだと思う。

もし希望していた大学に行っていたら……そこでも気の合う仲間はつくれたかもしれないけれど、今大切にしたいと思える彼ら彼女らとは出会えていなかっただろう。

どんな道を歩んでも、かけがえのない出会いをこれからも大切にしたい

4年前、希望していた道へ進むことはできなかったけれど、思いがけず進むことになった道には、かけがえのない出会いがたくさん待っていた。

結局のところ、偏差値とかネームバリューとか、そういう「どこへ進むか」よりも、そこで「どう進むか」「誰と進むか」が大事なのだと気づかされた4年間だった。

この春、私は大学を卒業し、生まれ育った地元へ帰って働き始める。

就職する企業は第一志望だったところではないし、もしかしたら今後も希望する道を歩めないことは多々あるだろう。

でも、たぶん私の人生はなんだかんだで楽しくなると思っている。

どんな道を歩もうと、そこでしか巡り会えない素敵な出会いがあることを、大学で学んだから。