贅沢な悩みだと言われそうだけど、長い間帰国子女であることは私のコンプレックスだった。

帰国子女にはいろんなタイプがいる。
生まれが海外だけど物心つく前に日本に戻ってきた帰国子女。海外に住んでいたけど日本人学校に通っていたから日本語しか話せない帰国子女。インターナショナルスクールに通っていた帰国子女。現地校に通っていた帰国子女などなど。
滞在していた国と期間や通っていた学校に関係なく、日本でない場所で一定期間住んでいて日本に戻ってきた人全員が「帰国子女」と一つの言葉にまとめられてしまうことに私は今でも納得がいっていない。

英語力の差は歴然。劣等感を抱いて、英語を好んで話さなくなった

ちなみに私は小学生の頃、父の仕事の関係でシンガポールで2年ちょっとインターナショナルスクールに通ったタイプの帰国子女だった。
そんな自分を帰国子女と認識したのは中学に入ってからのこと。私は2年以上海外に住んでいた経験があれば帰国子女枠として特別試験が受けられる私立の中学に受験し、「帰国子女」と自分が分類されることを知った。そして自分以外の帰国子女にも出会い、彼らが自分よりも長期間海外に住んでおり、高い英語力を持っていることにコンプレックスを持つようになった。
周りから見たら同じ「帰国子女」かもしれないけれど、帰国子女同士で話すと英語力の差は歴然だった。そして周りから「帰国子女だから」と言われるたびに、他の帰国子女と比べた自分の英語力の低さに劣等感を感じ、私はだんだん好んで英語を話さなくなった。

同時に、インターナショナルスクールに通っていた間日本の勉強を一切してこなかった私は、日本の都道府県も、小学生が知っておくべき漢字も、百人一首も知らなかったため中学での定期考査は毎回苦労することになった。根本の日本語が分かっていないがゆえに成績も芳しくなく、日本語も英語も中途半端であるという現実を突き付けられた。

ペラペラでうらやましい? むしろみんながうらやましかった

当時一番うっとうしい!と思ったのは「英語ぺらぺら?」と聞かれること。どれくらい話せたら「英語ぺらぺら」ということができるのだろうか?発音さえネイティブ並だったらぺらぺらと認定されるのか?TOEICで満点だったらぺらぺらなのか?なんて考えていた。
「英語がペラペラでうらやましい」と言われることは当時の私には全然嬉しいことではなく、むしろ普通に日本で生活してきたみんながうらやましかった。

でも、高校卒業後の進路を少し考えた時に「自分には英語くらいしか強みがない」ということに気づいてしまった。小さい頃から夢を持っていて大学で何をしたいか分かっている同級生とは違い、自分には将来就きたい職業もなかった。では何ならやっていて苦にならないか、何なら自分の強みと言えるかと考えた結果がこれだった。ならば英語をコンプレックスと思うのではなく自分の武器と言えるように最大限に伸ばすべきなのでは、と考えまさにかがみよかがみのコンセプトでもある「コンプレックスをアドバンテージに」を実現するべく、海外の大学への進学を決めた。

コンプレックスはなくならない。でも感謝の気持ちを持てるように

そんな中学時代からはや10年。
自分の中で帰国子女であることがコンプレックスでなくなった訳ではない。
むしろ「小学生の頃に海外で英語を習得し、海外の大学を卒業した帰国子女」となったことで帰国子女コンプレックスは強まったようにも思う。

小学生の頃から英語を話せたから大学も海外に行けたと思われること。
海外大学を卒業しているなら英語はなんでも分かって当たり前だと思われること。
相変わらず「英語ぺらぺら?」と聞かれること。

でも今の私と昔の私が違うのは帰国子女だったからこそ選ぶこととなった選択肢、出会えた人に感謝できるようになったことだと思う。帰国子女ではなかったら中高一貫の私立に行く選択肢はなかったし、帰国子女というバックグラウンドを持っているからこそ所属できたコミュニティや応募できたインターンもたくさんある。

コンプレックスはなくなることはないかもしれない。でもうまく付き合えばコンプレックスはたくさんの可能性をもたらしてくれる。新しい選択へと導いてくれる。だからこのコンプレックスを活かしまくって自分らしく輝きつづけてやろうなんて思っている。