がんばりやさんの姉、だらしない妹。
わたしたち姉妹を見た人たちは、きっとそんな印象を持つと思う。
コツコツ真面目な姉。夏休み最終日に宿題をする、頼りなかった妹
姉は学生のころから毎日机に向かって勉強をしていて、コツコツ、真面目に物事を進めていくタイプだった。夏休みの宿題もサッサと終わらせてしまう。
妹といえば、勉強している姉のそばで、漫画を読み、アニメを見て、たまに遊びたくなって姉に絡む、なんとも怠惰な子どもだった。夏休み最終日に泣きながら宿題を終わらせる(たまに終わらない)ことは、毎年の恒例行事になっていた。
姉と、妹。
これを書いているわたしがどちらの立場なのかというと、まぁ、妹のほうである。「だろうな」と思った方もいるかもしれない、文章は性格がにじみ出るというから。
がんばりやさんの姉。「疲れた」と言わない姉。物事をテキパキと進めていく姉。
そんな姉が、最近になってわたしに「はぁ~~~疲れた!!!!」と漏らすようになった。
わたしはそれが、たまらなくうれしいのだ。
きっと今までは、自分の不満を言えないほど、わたしは頼りなかったのだろう。反抗期も激しく、離れて暮らす姉にも心配をかけたはずだ。姉が「疲れた」と言えないほどに、わたしは姉から見て、どうにも心配になる存在だったのかもしれない。
家庭の事情で、わたしは15歳から一人暮らしを始めた。今振り返ってみても、確かに過去のわたしは、自分のことでいっぱいいっぱいだったと思う。「わたしが」「わたしの」「わたしに」と、いつだって頭の中にいるのは自分だけだった。
年を重ね、環境も変わった。過去の自分と比べると、今の自分はものすごく穏やかになった。人のことに少しは目を向けられるようになり、大切な人のために、自分の時間を使う満足感も知った。
姉の「疲れた」を受け取れる余裕が、わたし自身に、やっとできたということなのだろう。
姉もひとりの人間。疲れないはずがない。どうかどうか、頼ってほしい
疲れないはずがない。あんなに何事にも一生懸命で、自分自身に手抜きを許さず、人のためにも動ける人なんだから。疲れるはずだ、あたりまえだ。姉はスーパーマンじゃない。ただの、ひとりの人間なのだ。
仕事の愚痴を、姉はわたしに言うようになった。
「家事の手抜きをするようになった」と、こっそり、姉はわたしにだけ耳打ちする。
育児で寝ていないとき、わたしの前で姉は泣いた。わたしは慌てて赤んぼうの抱っこを代わり、ぐすぐすしている姉をセイヤッと布団に追いやった。
どうかどうか、頼ってほしい。いままでたっぷり甘えさせてもらったから、大人になったら、次はわたしが手助けする番だ。
そういえば、少し前にこんなことがあった。
姉がなにか慌てて作業しているときに、わたしのことをチラリと見て、突然クスクス笑い出したのだ。「なに?」と聞くと、「あなたを見ていると、もっと楽にやっていいのかなと思えるよ」だそうだ。
そうか、楽にやっていいと思えるなら、そりゃなによりだ。
そんなことを言って話を流したけれど、もしわたしを見て、「なんだこの怠惰なやつは。こいつと比べたら、わたしなんて神さまだ」と思えるなら、それにこしたことはない。思う存分見てほしい。
そばにいたいな。疲れたがんばりやさんの姉が喜んでくれるなら
わたしは姉に、「がんばって」と言わない。「もっとできるよ」とも言わないし、「諦めないで」とも言わない。自分の中のパワーを絞り出して、姉ががんばっているのを知っているから。
がんばりやさんの姉。「疲れた」と言わない姉。物事をテキパキと進めていく姉。
そんな姉が、がんばれないとき。「疲れた」と言いたいとき。物事をうまく進められないとき。
わたしにできる範囲で、そばにいたいなと思う。怠惰を極めたわたしだけれど、姉が喜んでくれるかなと思うと、重い腰がいくらか軽くなる。
わたし、お姉ちゃんがお姉ちゃんでよかったです。お姉ちゃんも、この妹が妹でよかったと、そう、思ってくれたらいいな。