わたしは、幸せな家族の中で育った人が苦手だ。
彼らは、家族が温かい存在だと当たり前に思っているし、それ以外を知らない。家族は大切にするものだと、皆がそうするべきだと、信じて疑わない。
友人が楽しそうに家族とのたわいもないエピソードを話すのを聞いていると、わたしはいつも口の中に苦いものを感じるのだった。
ありふれた、幸せな家族だった。母が精神的に不調になるまでは
わたしは、両親ともに教師という家庭で育った。外から見れば、何の問題もない家庭。幼少期には、それなりに温かい思い出もある。
ど田舎で、裕福とは言えなかったけど、父がいて、母がいて、妹がいて、ありふれた、幸せな家族だった。
けれど、母親が精神的に体調を崩してからというもの、そんなありふれた家族像は、小さくひび割れて、少しずつ崩れ落ちていった。
いつの頃からか、母は部屋から出てこなくなって、たまに出てきた母は、お風呂に何日も入っていない、フケだらけの汚れた姿だった。
ヒステリックに叫んでいるかと思えば、「死にたい」と言ってめそめそ泣いている日もある。
リストカットが常習化して、腕も、身体も、傷だらけだった。
段々と、父はそんな母を存在しないものとして生活するようになっていたし、幼かった妹も、母に寄りつかなくなった。
わたしはどうしても母を放っておけず、見捨てられなかった
そんな状況の中、長女というのは要領の悪いもので、そんな母を放っておくこともできたのに、わたしはどうしても、母を見捨てることができなかった。
母が「寂しい」と言ったら話をきいてあげたし、「死にたい」と言ったら死んでほしくないと励ました。
辛かった。
誰かに頼りたかった。
でも、助けてくれる家族はいなかった。
他人への頼り方が分からなかった。
それは、母が家を出て行くまで続いた。
欠損に気づいた、高校生のわたし。社会に出ても、補われなかった
母が家を出て行って、3人家族となったわけだが、家族というよりも、3人が便宜上同居していて、個々人が好き勝手に生活しているという感じだった。
家族が壊れてしまったのは、母をちゃんと支えてあげられなかった自分のせいだと思って、声を潜めて1人で泣いた。
当時高校生だったわたしは、自分がどこか欠損していることに気づいていて、それを隠すことに躍起になっていた。
友達と居ても、上手く笑えない。怖い。自信がない。
いつか、おかしな家族だってことがバレてしまうんじゃないかと怯えていた。
周りの友達は、当たり前に家族がいて、愛されていて、感情のままに泣いたり笑ったりして、キラキラ輝いて見えた。
わたしは、息の詰まるような同居生活から早く抜け出したくて、欠損を補いたくて、必死に勉強した。
結果的に、社会的には高学歴と言われるような大学に入学して、それなりの会社に就職した。オモテ面は、思い通りの理想の人生だ。
でも、わたしの欠損は補われることはなかった。
望むものは大抵叶えてきたはずなのに、幸せな家族の中で育った人と一緒にいると、言いようもない劣等感を覚える。
自分はやっぱり、何か足りないのではないかと感じる。
家族を愛することは、崇高なことなのかもしれない。
まっすぐに愛していたほうが、幸せなのかもしれない。
だけどわたしは、あの時母を放っておいた父を、再び「お父さん」と言って慕うことは、そんなに簡単には出来ない。
一人で母を支えて、誰にも頼れなかった、孤独だった思春期の頃のわたしが、寂しそうにこちらを見ているから。
ごめんね。頑張ってみたけど、それは努力では手に入れられなかった。
・・・
わたしも本当は、心から家族を愛していると言いたい。
大切に思いたい。
いつか、全部を受け入れられなくてもいいから、そう思える日が来ますように。