私には忘れられない卒業式の思い出がある。
卒業式に出席することができたのは本当に奇跡だと思うし、この出来事が人の心を動かすことに繋がったからだ。
その当時、私は小学四年生で、学校に通うことがすごく嫌な生徒で不登校気味になっていた。理由はいろいろあるが、同級生や下級生からの嫌がらせや、揃って集団行動をすることに苦痛を覚えていたからだ。教室の空気に順応できず、五年生に進級してまもなく私は学校という当たり前の日常に嫌気が差し登校するのをやめた。
そんな状況が約二年間続いて、気付けば六年生の10月頃になっていた。いよいよ卒業シーズンになり、焦燥感がひしひしと現れ胸が張り裂けそうになった。「このままではいけない」と思いながらも行動に移せない弱い自分を責めた。時間が過ぎていくのが早く感じて、ますます不安になった。
「卒業式に出たい」。背中を押してくれたのは、一人の先生だった
今、振り返ってみるとこの感情は人生で経験したことのないくらいの情熱だったと思う。「後悔だけはしたくない」という気持ちだけを連れて、学校に行こうと決心した。何度も学校の前で立ち止まり、その度に自分を信じ鼓舞し続けた。周りの支えもあり、おかげで少しずつ学校に行けるようになった。そして卒業式の直前には教室で給食を食べれるほどまで改善することができた。
自分の気持ちを後押しさせたのは何より、悩んでいた大変な時に優しい眼差しで見守って下さったカウンセラーの先生がいたからだ。私をここまで奮い立たせてくれて心を強くすることを教えてもらい、個性を大事にすることを学び、今でも感謝している。その先生のおかげで強い意志を突き通すことができ、その勇姿を先生に見せたいと心から思っていた。
小学六年生の三月、念願だった同級生と一緒に卒業式に出席することができた。"学校に行かない"という選択が正しかったのかは未だに分からないが、支援のありがたみを改めて感じたのと同時に、本人の勇気や強い思いが自分を変えることになり、それが自信になった。「なぜ生きているんだろう」と自分の存在を肯定することができない時期もあったけれど、個人を認め、他人と共存していくことの大切さも分かってくるようになった。
私の踏み出した一歩が、名も知らない女の子の勇気につながった
卒業式を終えて、晴れて中学生になった私は、お世話になったカウンセラーの先生からとても嬉しい報告を受けた。それは「私が出席していた卒業式を見ていた、当時五年生だった不登校の女の子が一年後、それを克服し卒業式に出席した」という話であった。
その子はどうやら私のことを知っていたみたいで、「不登校なのに卒業式に出ている」と最初は驚いていたらしい。だが、それに感化されて彼女は変わったそう。
どんな心境だったのか…。その子の名前も知らないけれど、想像するにきっと怖くて仕方なかったと思うし、経験しているから気持ちは痛いほど分かる。その話を聞いて思ったことは、最初は"誰かの為"ではなく"自分の為"だと思って、出した決断が後々、相手の希望になったりその人の未来を変えることがあるということ。さらに勇気を出した行動が誰かの夢や目標になり、心を突き動かす原動力に繋がると気づいた。
これからも、誰かに勇気を与えられる存在でありたい
なにより彼女が私を目標に、"踏み出す"という英断をしてくれた、という事実があるからこそ私は今、より一層自分の存在を肯定することができる。今までは一方的に素晴らしいものを"与えた"と思っていたけれど、彼女の行動で「意志を貫く大切さ」や「行動に責任感を持つ」など、生きていく上での教訓になることが多く学べたので感謝している。今後も忘れることのないこの卒業式はお互いに光をもたらしてくれただろう。
この先も人との繋がりを大切にして勇気を与えていけるような人間になりたいと心から思った。そして彼女にはこの経験をしたからこその、私と同じように何か希望になるものを見出してくれたら嬉しい。