年上の仲の良い人たちのことを、どう呼べばいいかわからない。友達というには憧れが強すぎて、先輩というほど形式ばった関係ではなくて。すごく気が合って話が弾んで、でも台詞からふいに滲む大人らしさに胸を衝かれて。そんな風に仲良くしている年上の女性の仲の良い人たちのことを、わたしは心の中で勝手にお姉ちゃんと呼んでいる。

留学で、衝撃と新鮮さを覚えた。自分の中で年齢という壁が瓦解した

最近、年上の人と仲良くなる機会が増えた。留学したときに、年齢によって敬語を使い分ける習慣のない国で暮らしたことで、自分の中で年齢という壁が瓦解したのだと思う。留学先の学科には自分より年上の人がとても多く、自分の母親と同世代のクラスメイトとピクニックや勉強会をして過ごす機会すらあったくらいだ。通っていたダンスのクラスでも、誰もが先生と同い年の友達のように話していた。わたしにはそれが衝撃で、でもとても新鮮で、敬語とか年齢で壁を作って自分について語り合えないって、なんだかすごく寂しいことだったのかもしれない、と思ったのだ。

だから帰国後も、気が合いそうな人がいたら年齢が違っても積極的に会って話すようにした。その結果として巡り会えたのが、中高時代の先輩でものすごく気が合う大好きな、2個上と4個上の「お姉ちゃん」ふたり。好きな映画や本が似ていて、SNSを通して意気投合したのである。その二人は姉妹だから、わたしは勝手に末っ子になったような気持ちでいる。

年齢の違う人たちと話すと、新しい風に吹かれたような心地に

年齢の違う人たちと話すのは、とても楽しい。自分の見えていなかった世界に足を踏み入れるようでいて、それなのに、行き着く先は一緒だったりする。たとえば先述したお姉ちゃんたちは、本や映画を心から愛していたり、その中でも好きな作品が共通していたり、人との向き合い方とか、些細な言葉の選び方とか、大切にしたいと思うものがとても似ていて、話していてとても心地良い。でも、ふたりとももうそれぞれ会社で働いているから、周りにいる人の話とか、見えている世界の形とか、そういうものについて聞くときは、わたしは新しい風に吹かれたような心地になる。それが楽しくて仕方ない。

お姉ちゃんも妹も増えていく。歳を重ねるっていいことじゃん

大人になるということは、年齢による呪いが解けてゆくことなのだな、と最近思う。高校時代には「友人」といえば同輩を指す言葉だったけれど、大人になるとどんどん年齢の壁は崩れゆき、年齢なんてその人を構成するただの記号のひとつでしかなくなってゆく。わたしはそのことが本当に嬉しい。

中学生の頃は、当時の先輩とこんな風に向かい合って、お洒落な喫茶店で紅茶を嗜みながら本とか恋について語り合える日がくるなんて思ってなかった。友達になれるのは同年代の人たちだけで、年上相手になんでも打ち明けて話すのは、失礼なのかもしれないとすら思っていた。そんな相手に、お姉ちゃん、と心の中で呼びたくなるほどに、近づけるなんて思ってなかった。

きっともっと歳を重ねたら、ますますいろんな年齢の人と仲良くなって、お姉ちゃんも妹も、たくさんたくさん増えていくのだろうなと思う。そんな未来に思いを馳せると、なんだ、歳を重ねるっていいことじゃん、そんな風に、素直に未来が楽しみになってくる