私は常日頃から、ありがとうとごめんなさいは必ず言うようにしている。言い過ぎかなと自分でも思うくらいに。そして言葉だけでなく、相手の目を見て、手を重ねてお辞儀を深くするなど、口だけならなんとでも言えると相手に受け取られないように、傍から見れば大袈裟に見えるような、何度も繰り返して言葉を言うなどの行動も伴わないとその言葉が嘘に見えると思ってしまうようになった。仕事でも分からない所があると、先輩に聞くときに「すみません、」と言ってから聞くようになった。姉から、「先輩の立場から言わせてもらうと、最初にすみませんと言われると、自分がなにかしたんじゃないかって思うよ」と言われた。話しかける時でさえ、謝罪の言葉を言ってしまうようになった。

そうこうしているうちに、学生から看護師になった今、自分の気持ちを話すことが増えてきて、現在に至るまでの職場でその時に思ったことを素直に発言する。例えば、先輩が患者さんに対して「〇〇さんに怒られたのだけど、どう思う?」と笑いながら言われるのに、「それは〇〇さんはこう思ったんじゃないですかね?」と笑顔で返しているつもりでも、必ずといっていいほど、「患者さんのことをすごく考えているんだね〜真面目だね〜。」と言われるようになった。

これのどこが真面目なのか。素直に考えを伝えているだけなのに

私は自分が「真面目」だとは思っていない。髪色だって看護師とは思えない様な、光に当たると赤に見えるような髪色にした時や、毛先にかけて思いっきりアッシュにしたこともあったし、ヘビースモーカー並に煙草も吸う。自分の家だって職場のロッカーだって、気付けばすごく汚くなって、必要な物がどこにあるか分からないことは日常茶飯事だ。ベッドの頭周りなんて、空や少し飲み物が残ったペットボトルやヨダレを拭いたティッシュがわらわらと出てきて同棲している彼氏に呆れられることが多々ある。ごみ捨てだって燃やせるもの燃やせないもの全部一緒くた。空のペットボトルは透明のゴミ袋から思いっきり見えている。

朝、起きられなくて指定の日の前の夜に捨てる。料理だって洗濯だって彼氏がやる。掃除はもっぱらクイックルワイパー。風呂場も赤カビが見えてきたぐらいにカビ取りスプレーをチャチャッとかけるのみ。排水溝なんて髪の毛がたまって水が流れなくなってから取る。今だって座っている隣をみれば洗濯したての畳まなきゃいけない服や、着た服がわんさかある。仕事だってやることに時間がとてもかかる。先輩達が1時間で終わらせることに3時間かかる。この前なんて職場に歩いていかなきゃいけない日に、寝坊して病院の患者さんが停める駐車場に車を停めた。

これのどこが真面目なのか。だが、自分の考え方は0が100のどちらか。50がない。病気に対しても、「もう一生治らないから諦めるしかないんだ…」とか、人に思いを伝えるとき、例えば具合が悪い中、仕事に来ることに対して私は「仕事は来るだけじゃだめなんです!!給料が発生しないと、自分は来ている意味がないと思います!!先輩達と同じように業務をこなさないと、だめなんです!!」と言うと、周りにいる人々は、「全部ゆるゆるやればいいんだよ。とりあえず来て、それでも具合悪いなら帰ればいいんだよ。来るだけでも別にいいんだよ」「全部そんなに固く考えたら疲れちゃうよ」「真面目なんだね」と言う。私は真面目じゃない。ただ結果は別として、頼まれごとを完璧にしなきゃいけないと思うこと、相手に必ず聞こえるように挨拶をすること、ありがとうとごめんなさいは必ず相手に伝わるように何回も言うようにしていること、聞かれたことに対して素直に考えを伝えていること、具合が悪い時でも、休んでいた時期がある分、這ってでも行かなければいけないと考えている。それだけなのに。なぜそれが真面目と捉えられるのか。私が思っていることは間違いなのだろうか。重い考えなのだろうか。でも、同じ職場で働いている友達に「あなたは真面目なんだね。それがあなたのいい所だよ」と言われると、自分のことを分かっている上でいってくれるのだから、嫌じゃない。むしろありがたい。嬉しい。矛盾している。

1回、親に「真面目すぎると逆に面倒くさがられる。ちょっとふざけたくらいが、ちょうどいい」と言われたことがある。私は、話す相手にふざけることは失礼だと思う。だから相手には「真面目だね」と言われる。その表情は、みんな驚いた顔をしている。なぜだ。なにに驚いているのか。みんな嘘をついて周りに合わせて上手く生きているのは心底理解している。私も時に嘘をつき、周りに合わせ、先輩達の顔色を伺いながら、笑顔の仮面を貼り付ける術は持っている。なのにちょっと自分の考えを話すと途端に「真面目だね」と言われる。

私を「真面目」と言わない人は楽で、心地よい。真面目ってなに?

みんなの言う「真面目」ってなに?もうここまで「真面目」って書くとゲシュタルト崩壊してくる。それくらい、私は言われる。私の本来の生活の仕方も知らず、周りに合わせている事も見抜かれられず、周りには「真面目だね」と言われる。でも同棲している彼氏には、「そろそろここら辺片付けよ?」って言われるし、家によく来る友達には「今、家汚いよ?」と言うと「大丈夫知ってる」とさもいつも通りじゃん的なスタンスで言われる。
だから彼氏と友達らには私は「真面目」とは言われない。自分の話をしても、とても「楽」である。受け入れてくれる。心地よい。この人たちと働けたらどんなに楽か。その友達らは元の職場の後輩達である。だから職場での上っ面の笑顔も、仕事の仕方も知っていて、「あなたが自分の教育係なら良かったのに」と言われる。後輩達と同じように分からないことは「一緒に他の先輩に聞こうか~」とか、いつも笑い合いながらふざけていたし、「おはよ~もう帰りたいね~」なんてのも毎日だった。だが仕事では分かることは教えるし、だめだと思ったことはちゃんと注意する。仕事に対しても今と同じように素直にちゃんと答える。でも彼女らにとって私は「真面目」ではないのだ。何回でも言える。自信をもって言える。やばい、
またゲシュタルト崩壊してきた。でもその方が心苦しくなかった。

こんなに自分をひけらかして、ふざけているのに

上っ面の笑顔を貼り付けて、毎日振り返りノートを書いて、言われたことにはちゃんと従い、意見を聞かれたら正直に答える。でも、後輩だからそれが普通だよねっていう感覚ではなく、「真面目だね」と言われる。逆に「後輩だからそういう存在だからそう言うしか無いよね~」ぐらいで居てくれた方が楽なのになあと思う。頼むからもう「真面目だね」という常套句は言わないでくれ。ふざけながら私生活をひけらかしても「いやいや、嘘だ。貴方は真面目だ」と言われて「また言われた...」と落ち込んで家に帰ってくる。

たぶん普通の人なら、「私は相手からしたら真面目なんだ!良かった!バンザイ自分!これからも頑張ろ!」ってなるんだろう。先輩たちには本当に申し訳ないが、こんなに本来の自分をひけらかして、出来る限りふざけているのだ。そろそろみんな気付いてほしいと思いながら、私はいつも仕事に向かう。「今日こそは真面目だねって言われないといいな」と思いながら。