わたしのコンプレックスは、ズバリ「顔」である。
目が気に入らない、鼻が低い……容姿にまつわるコンプレックスは尽きない。
わたしの場合、自分の顔を構成する全てが嫌だった。

美人は絶対得をしているとは限らないが、ブスは必ず損をしている。容姿コンプを拗らせすぎたわたしはずっとそう考えていたし、今でもその根底の発想は一部残っている。それでも、最近は少しだけ考え方が変わってきた。

その背景には自分自身が実際に、顔に三桁を超える課金をし、整形手術を受けた経験が存在する。

そして先に明言しておきたいのは、わたしは整形はするもしないも正解はなく、本人の自由であると考えている。決してこの文章は整形を推奨するものでも、否定するものでもない。

手術の痛みは数時間だけれど、お金を稼ぐには忍耐と決意が必要だった

「整形したい~」といいながら加工アプリで写真を修正する光景は、イマドキ女子の日常だ。でもそこで、果たして何人が本当に整形に踏み込むかはまた別の話だ。

そして、同時に「整形をしたから可愛くなれるか」もまた別の話なのである。

大手美容整形外科の、プチ整形の広告が電車に張り出されるようになった時代。整形についての理解も費用もだいぶ変わってきたように思える。それでもyoutubeを通してみるインフルエンサーの整形体験記と自分が手術台に登ることは全然意味が違う。痛いしお金かかるし、なにより、怖い。

手術の痛みは数時間だけれど、お金を稼ぐことはかなりの忍耐と決意が必要だった。わたしは夜の仕事を掛け持ちした。

風俗からキャバクラ、パパ活まで朝から深夜まで時間を費やしてお金を稼いだ。単価が高い夜職は一見稼げるように見えるかもしれないけれど、世の中そんなに甘くはない。わたしは稼げなかった。理由は「可愛くないから」。顔のために稼ぎたいのに、顔のせいで稼げない皮肉。毎日がしんどかった。

それでも正直「可愛い」に辿り着けていない

わたしの友達には、二重整形して顔が変わったことを気にして、サークルに来なくなった同期の女の子がいた。

整形後、彼女はとっても可愛くなっていた。

シンプルに羨ましかった。それは彼女が二重以外のパーツ配置や形が整っていたからだし、わたしは三桁課金しても家族にすら気づかれなかったからだ(びっくりするかもしれないが実家暮らしでも本当に気づかれることはなかった)。

あの子が整形?だからなんだ。わたしなんて韓国で全身麻酔して顔の骨まで削ってる。それでも正直「可愛い」に辿り着けていない。じゃあ今までの努力はなんだったのだろう?と病んだこともある。

でもある時、自分の卒業アルバムを開いて、確実にこの時よりも今の写真に笑顔が増えたことに気がついた。

女の子は、みんな可愛い。でもそれを自分で肯定するのは難しい

わたしは、戦った。自分の顔と。光のない風俗の一室で。パパに連れてきてもらった、バーのカウンターで。昼のバイトのカフェで。合コンの場の、可愛いあの子の隣で。

顔は生まれてくるときに選ぶことができない。でも、生まれてから自分のコンプレックスを変えることはできる。わたしは物理的に変えないと気が済まない性格だったから、全て変えてしまったけれど、例えばありのままの自分を可愛いと言ってくれる誰かに出会うことだってコンプレックスから自分を救う一つの方法だ。見方を変えるのもいい。根本的に対決するもよし。

自分の中の自信のない部分に向き合うことは、女の子の魅力を最大限に引き出す。女の子は、みんな可愛い。でもそれを自分で肯定できるようになることは、とっても難しい。

わたしが一生懸命時間を費やして、考えて、手に入れたこの顔は、間違いなくわたしのものだ。

そんな自分自身の努力の結晶を愛おしく思う。