「ゆっこってさ、十六方美人(じゅうろっぽうびじん)だよね」。
中学時代、仲の良かった友人に言われた一言は、NOと言えない私が招いた結果だった。
「自慢=嫌い」という方程式が理解できなかった
学生時代、仲の良い友人と集まり、昨日のテレビの話や恋バナなどくだらない話をするのが大好きだった。そんな大好きな時間の中に唯一ある私の大嫌いな話題。「ねえ、あの子っていつも自慢ばかりだよね、本当無理。ゆっこもあの子のこと嫌いでしょ?」。「うん、私もあんまり好きじゃないかな」いつもお決まりのフレーズを言う。
実は心の中では「自慢=嫌い」という方程式が理解できなかった。それは私が良い子だからではない。「自慢=個性(初めて出会う性格の子だな)」と考えているからである。 私がこのように考えるようになったきっかけは、国語の授業で学んだ金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の詩の影響である。詩の最後の「みんなちがって、みんないい」という言葉に心を打たれた。同じ性格の子ばかりだとつまらない、違うって素晴らしいと思えた。
私は頭の中で、「自慢=個性」と変換されていることをずっと言えず、その場の雰囲気で会話を合わせるようにしていた。しかし友人の前では一緒になって「あの子が嫌い」と言っていたはずなのに、実際にあの子と楽しそうに話している光景…私の行動を疑問に思ったのだろう。友人が言ったのが冒頭の言葉、「十六方美人」である。
「十六方美人」とは、友人が作った「八方美人」の造語で「八方どころか十六方にいい顔をするから」という意味。しかし私の中に「いろんな人に良く思われたい」、「誰にも嫌われたくない」という感情はゼロだった。卒業するまでの間、同じ仲良しグループに所属していたが、私の心の中には「十六方美人」という言葉が、ずっと引っかかっていた。
「変わった同期」がとても面白い人だと、私は知っていた
私がこの言葉から解放されたのはつい2年前、社会人になってからである。
同じ会社の同期に少し変わった子がいた。彼はお酒もあまり飲めないし、場を盛り上げる芸もない。むしろその場を凍り付かせるくらいの空気の読めない子だった。取引先との接待の場が多い会社で、若手に求められる能力を何一つ持っていないと言っても過言ではなかった。少しずつ彼は会社や同期の中でも浮いたような存在になっていった。
しかし私は知っていた。彼がとても「面白い」人物であるということを。
まず彼はとんでもなくパソコンを使いこなす能力があった。2つの動画を組み合わせ、1つの映像を作らなければならない時に、彼は翌日に完璧な映像資料を作成してきた。
そして彼は絶対に弱音を吐かない人間だった。1年目の彼が配属された部署は、仕事量が多く残業が当たり前の地獄部署。慣れない仕事、厳しい人間関係…過酷な状況にも関わらず会うと「昨日、あやうく終電を逃すところだったんだよね」と面白おかしく話していて、こいつはただものじゃないと感じた。
あぁ、23年間生きてきた中で初めて会うタイプかもしれないと思った。そう思うと彼にどんどん興味が湧いてきて、時には一方的に質問攻めすることもあった。彼は1つ1つ受け止め、丁寧に答えてくれる。その答えに私の想像通りのものが1つもなく、ワクワクした。
「十六方美人」からの卒業
そんな私を見た別の同期に「俺、あいつのこと嫌い。でもお前は仲良いよね、変だと思わないの?」と言われた。学生時代の私なら、話を合わせるだろう。でも初めて本心を言ってみた。「変だから好きなの。あの子、めちゃくちゃ面白いよ」。そういうと彼は「ふーん、なんかお前らしいな」と笑顔で答えた。「NO」というのがこんなにも簡単だったなんて。十六方美人からの卒業は、すっきりした気持ちだった。
「ゆっこって十六方美人だよね」と聞かれたら「美人じゃないよ(笑)。『人間』が大好きな変人だよ」と答えたい。
「ゆっこもあの子のこと嫌い?」と聞かれたら「NO」と言いたい。