ライターのトイアンナさんが、こんなツイートをされていました。
#国際女性デー として、簡単に女性が始められれることは腹の底から「は?」と大声で言う練習。理不尽な目にあった時、怒る練習をしておかないと頭が真っ白になって動けないからです。1人で「はぁ?」とキレる練習をするだけで、いざと言う時身を守れます。護身術でも習うことです。
— トイアンナ (@10anj10) March 8, 2020
まさにその通りです。私自身が、即座に「はぁ?」と言えなかった経験を苦々しく思い出します。
私は自分が加害されていることに気づけなかった
以前付き合っていた男性との話です。
はじめてセックスしたとき、膣内で射精したあとでコンドームが外れていたことに気づきました。そのとき避妊用のピルを飲んでいたので不安には感じず、そういう事故もあるよな、くらいに思っていた私。その日はなにも言いませんでした。
次のセックスのとき。相手がコンドームをつけるのをぼんやり見ていたら、亀頭の下くらいまでしか巻きおろしていなかったのです。それを指摘すると、相手は「だってめんどくさいんだよ…」と。
ここで私は「はぁ?」と腹から声を出して言うべきだったのです。避妊に最善を尽くさないことは、女性のからだに対するれっきとした暴力なのだから。
でも私はそうしなかった。別に怖かったとか、言いにくかったとか、そういう話ではなく。
私は自分が加害されていることに気づけなかったのです。
コンドームを正しくつけない相手に、私は傷ついたけど
加害されているときに、それが加害だと見極めることは難しいものだと思います。
人に悪意がある、というのは一部の人にとって信じにくいことではないでしょうか。私もそのうちのひとりです。人間の善を信じてしまうから、向けられた悪意を正当化しようとしてしまいます。
この人にはなにか理由があるのだろう。これは偶然なのだろう。たとえばこんなふうに、「これは加害ではない」と思い込もうとすることもあるでしょう。
あるいは、自分のこころに鈍感である場合もあります。コンドームを正しくつけない相手に、私は軽んじられたような気持ちになり、傷つきました。でも私は、その感情を、こころの傷を、押し込めてしまった。
あの日の私が言えなかったことを、伝えなければならない
加害されたことにはあとから気づきます。
私の場合は、その男性と別れたあとでした。急にあれは暴力だったのだと気づき、へらへら笑って許してしまった自分が許せなくなって。
自分を許せないままでいたくはない。あの日の私が言えなかったことを、伝えなければならないと思いました。
フリック入力もうまくできないほどに震えた手で、その相手に連絡しました。
コンドームを正しくつけないのは女性への暴力であること。あれはデートDVだったこと。
それを伝えたとき、返ってきたのは
「はーい」
という3文字だけでした。
正直、悔しくてたまらないです。私が受けたデートDVは、その告発は、「元カノがなんかうるさいこと持ち出してきたよ」という文脈に回収されてしまいました。
でも、NOを突きつけたことは正しかった。そう思います。NOと言うことによって、あのときNOと言えなかった自分も救ってあげることができるから。
加害に気づいたら、いつでも告発していいのです
加害を受けたのに黙ってしまった自分や、加害にその場では気づけなかった自分が許せないこともあります。そのときにNOを言ってみることは、ひとつの選択肢です。
それは軽んじられるかもしれない。疎まれるかもしれない。だから全員がそうすべきだとは思いません。
でも、加害に気づいたら、いつでも告発していいのです。
NOと言うのに時効なんてない。