高校生の頃お世話になっていたA先生は、今お元気でしょうか?私は大学に入ってから3年経ち、将来のことも考えながら過ごしています。
実は、ずっと先生に謝りたいと思っていることがあります。私は先生にウソをついてしまったのです。

サボりたくはない。でも、「いい子ちゃん」にもなりたくなかった

あれは確か、高校3年生の時の、掃除の時間でした。私の掃除場所は地下の階段で、他にも3人くらいの学生と一緒に掃除をしていました。

でもいつしかみんな掃除場所に行かなくなってしまいました。地下の階段は先生が見回りに来ることもなく、外からも見えにくい場所だったから、掃除をしていなくてもバレなかったのです。

掃除の時間、みんな教室かどこかでお喋りをしていたと思います。でも私はみんなと一緒にお喋りすることはできませんでした。掃除をサボることへの罪悪感が大きかったからです。

そこで私は一人で掃除場所へ行って、掃除をしました。しかし今度は、別の罪悪感に苛まれました。私だけがいい子ちゃんになっていると感じたのです。もし万が一掃除をサボっていることが先生にバレてしまった時、他の学生から見たら、私はすごく卑怯ではないだろうか。

掃除をサボることは良くないと思いつつ、自分だけ掃除するのも卑怯な気がする。そう思うのなら、他の学生に「掃除しようよ」と誘えば良かったのではないでしょうか。でも、当時の私にそんな勇気はありませんでした。いい子ぶっていると思われて、冷たくされるのが嫌だったからです。

罪悪感から逃れるために、自分をだまし続けた

そして私が辿り着いたのは、「掃除場所へ行って何もせずに時間を潰し、終わりの時間になったら教室に戻る」という行為でした。掃除をしないのは罪悪感が大きいので、掃除場所へ行く。しかし、本当に掃除をするのは卑怯だから、何もせずに掃除の時間を過ごす。これが、2つの罪悪感を解決するために私が導き出した行動でした。

掃除をサボっていることには変わりないのに、「私は掃除をしているのだ」と自分を騙しました。そして、実際には掃除をしていないので、他の学生への罪悪感もありませんでした。自分はずいぶんおかしなことをしているとモヤモヤしつつも、この行動を何回も続けました。

「お疲れさま、ありがとう」。その笑顔は、私の心にモヤモヤを残した

その日も、いつものように掃除場所へ行って時間を潰していました。そして、教室に戻ろうと思って、階段を上り終えた時でした。

A先生に、バッタリと会ってしまったのです。
私はとても焦りましたが、何事もないように通り過ぎようと思いました。すると先生は、私に向かってこう言ったのです。

「掃除、お疲れさま。ありがとう」

先生は、屈託のない笑顔を浮かべていました。私はすごくモヤモヤしました。とても嫌な気持ちでした。しかし私は何も言わずに、一礼して通り過ぎてしまいました。
そして、A先生を騙したまま、高校を卒業してしまいました。

先生、ごめんなさい。誰のためでもないウソはもうつかない

先生。あの時私は掃除をしていませんでした。ボーッと時間を潰していただけです。教室と掃除場所を往復していただけです。なのに、掃除をしたフリをしてしまいました。先生にウソをついてしまいました。騙してしまってごめんなさい。そして、正直に本当の事を言えなくてごめんなさい。

「ありがとう」という言葉を聞いて、こんなに悲しくなってしまったことはありません。先生の笑顔を見た時に感じた、あのモヤモヤは、今でも忘れられません。

誰も幸せにならないウソは、どんなに小さなものだとしても、もう二度とつかないと決めました。