低用量ピルを貰ってきた。
生理という毎月訪れる不可避のイベントは、通常のわずらわしさに加えて私の場合、ちょっとツラめの月経痛と月経不順を伴っておりいい加減ストレスになっていた。恥ずかしながら24歳にして、生まれて初めて婦人科の門をくぐることとなった。
滞りなく診察は進み、とても簡単にピルは処方された。こんな言葉を添えられて。
「2ヶ月くらい生理来なかったら一応検査してね、妊娠してることもあるからね」
そうか。私は、妊娠する可能性があるのか。
妊娠。
そうか。私は、妊娠する可能性があるのか。という、生理が来るからだの持ち主には、ごくごく当たり前の事をぐるぐる考えながら、初めてピルを処方される人間に対して実施する検査の日取りを伝える優しげな医師に、はいはいと適当に返事をしていた。
身長は周囲の女の子の中でどころか、平均的な男子と同じくらいで。薄い身体も短い髪も鋭い目も、決して可愛らしいの対象とはならなかった。それでも24年間、苦楽を共にしたからだを私は、気に入っていたはずだった。決して可愛いの対象にはならず、「きみが男なら彼氏にしたい」「面白いけど彼女にはしたくない」「貧乳すぎる」「けど多分ギリ抱ける」などと本当に男女問わず勝手に評されてきたけれど。
それでも鏡に映る自分のイケてる姿に「いや、私カッコイイしな」「いうて、今日はあんたわりとカワイイよ」と支え合って来た肉体のはずだったのだが。世間一般的に美しくなくとも、せめて私くらいはこのからだを愛してあげようと思っていたのだけど。
「ごめんな、ちょっと今は無理だわ」という気持ちが生まれてしまった。
多分、自分が必死に目を逸らしてきたんだと思う。周囲も続々と結婚し、結婚が早かった地元の友人の子供は今年で5歳になる。両親から「いい人はいないのか」「お見合いはどうか」と言われる年齢だ。いまの私と同い歳で、母は私を出産しているのだから、両親としては「いい歳でパートナーもなくフラフラしていて」心配なのかもしれない。
突きつけられた、「女」として期待される役割
「あー腹痛いし不快だし眠いし食欲やばいし最悪」という気持ちから、ふいに見ることとなった「妊娠」「出産」「将来のため」という言葉に、「そっか、この面倒臭い臓器は本来子供を産み育てるためにあるんだった」という気づきは大人の「女」としての面が、期待される役割が、ごぅっと迫ってくる、突きつけられたような気がした。
(えば、むかしからそういう役割を期待される場面は多かったのだけど、肉体が追いついていなかったためにどこか絵空事のように感じていたんだと思う。可能になった、ということが、「お前の肉体は女である」ということを可視化させたのではないか。自分のためにあるはずの「からだ」という概念を、ぱっと攫われてしまったように感じたのかもしれない。なぜか、とても悲しかった。
嫌悪感と違和感が沸いた。なんだ「子の宮」って。
髪の毛も爪も皮膚も胃も、ニコチンとタールでボロボロの肺と、心臓だって私のモノのはずなのに、何でこの内臓だけが自分のものにならないのだろうか。
生まれて初めて、明確に(子宮ってなんだよ)という嫌悪感と違和感が湧いた。なんだお前、「子の宮」って。私の体やぞ。セックスの予定もないのに、勝手にまだ存在すらしてない知らんヤツのにすんなや。
婦人科の初診問診票に、初経の年齢を書くスペースがあった。生理の記録アプリを開くと2010年が初めての記録となっていた。ちょうど10年前。私は初経が来るのが周囲と比べ遅かったと思う。焦りと、「別に来なくてもいいな」という思い。そういえば「子宮は赤ちゃんのためのベッドなのよ」という保健医の言葉もあったな、なんて思いながら妊娠という言葉をぐるぐると口の中で転がしていた。
今日、からだを愛せなくなってからさらに10年後。貴方はどうしてるのだろうか。その誰かの内臓を取り戻せているか、まるごとからだを愛せているだろうか。すぐには難しいかもしれないけれど、いつか身体の役割や違和感、いろんなしがらみを乗り越えて、自分や大切な人たちのためにこのからだを愛せているならいいな、そう思う。