私は、祖父のことが苦手だった。
生まれた時から近所に住んでいて、小学校に上がるくらいから同居していた祖父にとって、私はいつまでも「小さい女の子」だった。
朝、学校に行く前に祖父に「いってきます」を言うとき
夕方、家に帰ってきて「ただいま帰りました」を言うとき
夜、夕飯を食べ終わって「おやすみなさい」を言うとき
決まって毎日、祖父は私にハグをした。
祖父とのスキンシップを「嫌だな」と思うようになった
小学校に上がってすぐくらいのときは、まだあんまり深く考えていなかったからよかった。
小学校も3年生、4年生くらいになると、そういうわけにもいかず、祖父とのスキンシップを「嫌だな」と思うようになった。
小さいころから一緒にいる身近な家族だからといって相手は「おじいさん」なわけで、私は「おじいさん」とスキンシップをすること自体に、抵抗を覚えるようになっていた。
でも、「やめてほしい」と祖父に言うことができなかった。
祖父が私にハグするのは愛情表現のひとつであって、それを否定することは祖父の愛情を否定することだと思ったのだろう。
母が「お母さんから言おうか?」と言われたこともあったが、断った。
告げ口みたいで嫌だったし、その方が、直接言う以上に祖父を傷つけてしまうのではないかと思った。
だからといって我慢をするのは、私の精神衛生上よろしくない。
そこで、母の後押しもあり、意を決して自ら祖父に「NO」を言うことにした。
「相手の意に反する自分の意思」を表明することが苦手だった
祖父に「ハグをやめてほしい」と言いに行った夜を、今でもよく覚えている。
私は話を始める時からすでに泣きそうで、話を始めるとほぼ同時に泣いてしまった。
泣くほど嫌だった、ということではなくて、「相手の意に反する自分の意思」を表明することが、とても苦手だったのである。
突然「話がある」と言ってほろほろと泣き始めた私に祖父は戸惑っていた。
母に「ゆっくりでいい」と言われ、ぽつりぽつりとハグが嫌だということを話すと、祖父は少し寂しそうな顔をして
「言ってくれてありがとう。握手なら大丈夫?」
と言った。
握手なら、と祖父に近づいて握手をすると、手を引かれてハグをされた。
「ああごめん、これがだめなんだよね。ついつい」
癖になってしまっているけど、気を付けるようにする、と言って祖父は苦笑いした。
そうこうしているうちに私の中学受験が始まって忙しくなり、中学生にもなるとさすがに祖父のスキンシップはなくなった。
どれも愛情表現だったんだな、と思うけれど
そんな祖父が亡くなってから、今年で3年になる。
亡くなるとどうしても思い出は美化される。
祖父のめんどくさいところはスキンシップだけではなくて、一度「おいしい」と言うとひたすら同じものを買い続けてきたり、自分の食べたいものを買ってきては「食べなさい」と言ったあと「ちょっとだけちょうだい」と言ってきたり、ダイエットしてるのに「まだ足りないだろう」と言っておかわりを促してきたり、と、たくさんあった。
今になって思うとどれも愛情表現だったんだな、と思う。(思い浮かぶものがすべて食べることだけど)
でも、私にとってその「愛情表現」が好ましいものではなかったということもまた、事実だった。
私は私の「NO」を大事にしたい
「愛されている」ということはとても有り難いことだ。
だからといってその「愛情表現」をすべて受け入れないといけないということはない。
それでも私は、いまだに、人からの好意を、特に近しい人からの愛情表現に「NO」を言うのが苦手だ。
家族だとか、恋人だとか、そういう人たちが「私のことが好きだからしてくれていること」に対して「NO」をつきつけるのは、いつまで経っても心苦しい。
私のことを好きでいてくれる人に、嫌われたくないからだ。
でも、その「NO」は、自分を愛してくれている人にこそ言うべきだし、その「NO」を大切にしてくれない人の近くにいてはいけないんだと思う。
私は私の「NO」を大事にしたいし、私の「NO」を大事にしてくれる人を、大事にしていきたい。