「わー!国際結婚か~!子どもはハーフで絶対かわいいじゃん!」

これは、私が結婚をして、その相手が外国人だと伝えたときに知り合いの一人から言われた一言だ。彼女はこの一言を悪気なんてなく、むしろ良い意味で言ったのだろうと思う。でも、私は彼女の言葉にとっさに反応することができず、「あはは、そうかもね~」と乾いた笑いでごまかした。

結婚することも子どもを持つことも、当たり前の時代ではなくなった

結婚をしないことだって「普通」の選択になっている現代。私は子どもを持つも持たないも、その人・その家族の自由だと思っている。もちろん様々な理由から子どもがほしくても持てない方もいる。結婚をすれば子どもを持つことがあたりまえ、ではなくなっているからこそ、私は悩んでいる。私は、まだ子どもを持つ・持たないの決断はどちらにしてもできていない。

夫は何事に関しても私に自分の意見を押し付けない性格のため、もちろん「絶対に子どもがほしいんだ!」などと無理強いはしない。年齢を考えても、金銭面を考えても“子どもを持つことは無理”という決断の理由にできない状況にいる。

自分が母親になれるのか。出産や育児への不安が、私をためらわせる

それでも私の心は、最近少し“子どもを持たない”という選択に傾きつつある。
理由は、大小合わせ色々とある。中でも一番の懸念事項は、日本ではない異国での出産と育児に対する自信のなさだ。私は配偶者ビザを取得しイギリスに移住をした。状況が変わることもあるので言い切れないが、長くイギリスに住むつもりでいる。英語はそれなりに努力しているつもりだが、子育てとなると、自分だけの問題ではなくなる。もし子どもが学校でいじめられたとき、母親としてきちんと問題に対峙し、解決できるのか、毅然とした態度をとれるのか、正直に言えば自信がない。また、自分の両親は日本に住んでおり、義理の両親に関しても自分たちが住んでいる場所から遠く離れた地域に住んでいるうえ、義母は病気で入院している。子育てをする上で双方の両親から実際的・心理的なサポートが受けられない状況は、不安の種の一つでもある。

そしてそもそも、自分が子どもを授かることができる身体なのかどうかもわからない。子どもを授かり、大きな問題なく出産できたとしても、子どもの将来を考えたときに、アイデンティティーや言語の問題も間違いなく起きてくると思っている。私の決断が、将来子どもを苦しめる原因を作ってしまうのではないか、そんな恐怖ともいえる感情もある。世界情勢を考えても、気候変動や感染症のパンデミック、IT化が進む社会、そんな中で子どもが楽しく安全に育つことはできるのだろうか、ぼんやりとした不安も感じる。

そして先日、NHKのウェブサイトで「笑顔でも…“ママやめたい人が7割”の衝撃」という記事を目にした。読んでみると、赤ちゃんの夜泣きで何度も起こされることや、一日のなかで子どもから目を離せる時間が少しもないこと、産後うつ、ワンオペ育児といったことに心も身体も疲弊しているお母さんたちの姿があった。それは、「お母さんになるのが夢」で「赤ちゃんの誕生を待ちに待っていた」女性でも、“ママやめたい”と思うことがあるのだという。母親になることが楽しみだった方でも大変なのに、子どもを持つことに積極的になれない自分に、そんな大きな役割が果たせるのだろうか、やはり自信がない。

今はまだ答えを出せないけれど、どんな決断でも胸を張って生きていきたい

もちろん、子どもを持つことの素晴らしい面、良い面もあるのはわかっている。家族が増えればにぎやかになるだろうし、夫婦二人だけで過ごす時間とはまた違った楽しみや成長を実感して感動することもあるだろう。子どもがいることで、色々なことを頑張るモチベーションにもつながるだろうと思っている。遠く離れて暮らす私の両親にとっても、孫の姿を見ることが喜びになったり、いきがいになったりするかもしれない。それに、自分たちが歳を取ったとき、訪ねてくる家族がいれば孤独を感じることも少ないかもしれない。

私は今年、26歳になる。今後、自分が子どもを持つか持たないかについて、最終的にどんな決断をするかはわからない。でも、もし子どもを持つことに“NO”と言う決断をしたとしても、胸を張って生きていきたい。