『来週の飲み会来る?』「行けたら行くね」『え、それ絶対来ないやつじゃん』「いや行きたいんだけど、ちょっとまだ予定読めなくて...」
これは本当は断りたい飲み会の出欠確認時に私がよくやってしまっていたやり取り。私は"No"を言うのがものすごく苦手だった。だからずるずると返事を先延ばしにしてしまうし、結局乗り気になれないまま行ってしまうことが多かった。
行きたくない日もある。でも、断って嫌われるのも誘われないのも怖い
断って嫌われるのが怖い。誘われなくなるのも嫌だ。でも行きたくない飲み会に行くのもなんだかな。
行きたくない飲み会に誘われた時点で、私はどう転んでも不幸になるのだ。
なんだかんだ、飲み会に行くと楽しい。いっそのこと、二度と行かないって思えるくらい嫌な思いすればいいのに。そしたら確固たる意思を持って断れるのに。
まっすぐ家に帰って一人でドラマを見ようと思っていた日。部屋を片付けようと空けておいたりした日。いくら楽しいとはいえ、そんな日に飲み会に行くと、帰ってきて寝る前にどうしてこんなことになってしまったんだ...となることも多々。
誰かに必要とされたら、期待に応えなくてはいけないと思っていた
人に頼りにされたり、人が自分を気にかけてくれている、と実感できたときに幸せを感じていた。思えば小学校の頃から勉強教えて、一緒に遊ぼう、そう言われれば嬉しかった。誰かが私を必要としてくれている。じゃあその期待に応えよう。
もちろんそれは良いことなんだろうけど、そのうちに人がどう思うかを気にしすぎるようになったり、頼み事を断れなくなったりしていた。
先輩の何気ない「NO」。こんなに気持ちのいい断り方もあるんだ
そんな私がちゃんと断れるようになれたのは、ある素敵な女性の先輩に出会ってから。
その先輩はとても好かれていたし、柔らかい人でみんなに優しかった。
『今日はNetflixを観る日なのでパス。でも誘ってくれてありがとう』。
飲み会に誘われている場面をたまたま目撃した時、先輩はこう言っていた。私は目を丸くした。あの柔らかい先輩でもはっきり言うんだと思うと同時に、こんな気持ちのいい断り方があるなんてとびっくりした。
誘った方も、気を悪くするでもなく『そうなんですね、また誘います!』と答えていた。
「NO」と正直に言うことは、相手への誠意だと気付いた
先輩の素敵なところは、自分の芯を持っていて、他人のせいにしないところだ。私は「あー本当は行きたくないけど、行かないと〇〇ちゃん怒るかなあ」なんて、相手を気遣うように見えて自分を気にしていた。でも先輩はきちんと断ることで相手に誠意を見せていた。断るという行為においても、自分も相手も大切にできる。そう気づいた。
「ごめんなさい。今日は予定があるの。誘ってくれて嬉しい、また誘ってね!」
今の私はちゃんと、"No"を伝えられる。