もし、流れ星を見たら、みなさんは何を願うだろうか?
私は「コミュニケーション力!」と早口で3回唱えるだろう。なぜなら、私はこの「コミュニケーション能力」というものをずっと欲してきたからだ。

中学一年生の夏、私は学校に行けなくなった。理由はいろいろあるが、一番の理由は「友達ができなかったこと」だ。

中学受験をして女子校に入り、はじめて地元から離れた私は、自分でもびっくりするほど友達ができなかった。
家族や子供の頃からの付き合いの友達には、スラスラと喋れるのに、新しいクラスに入った私はとにかく緊張して口を開くことさえほぼできなかった。

周りのクラスメイトがどんどんグループ化していく中で、誰かに話しかけることもできず、会話にも入っていくこともできなかった私は、当然のように一人だった。最初の数日は「そのうちできるだろう」と楽観視していたが、時間が経つに連れ焦りが募った。
教室移動も一人、お昼ごはんも一人で、休み時間は教室にいたくなくてとにかく図書室にすぐ向かっていた。

孤独であることもとても辛かったが、それよりも一人でいることをクラスメイトにどう思われているのかが心配で、きっと陰口を言われているに違いないと思うと、どんどんと自信がなくなり、クラスメイトの目が見れなくなった。

それでもなんとか新学期から3ヶ月学校に通っていたが、夏休みという「学校に行かなくていい」という状態を迎え、ホッとしたのもつかの間、休み明けから私は糸が切れたように学校にいけなくなった。

とにかく人が怖かった不登校を経て留学へ

不登校は約1年半続いた。次にクラスに入ることができたのは、中学2年の冬だった。
不登校期間に私の自意識はより過敏になり、人とうまくやっていけないという劣等感もより強くなっていた。

コミュニケーション能力もさらに低下しており、とにかく人が怖かった。
人を極度に恐れていた私は、学校に行ってもクラスで一言も発しない日もざらにあり、そこにいるだけなので「座敷わらし」と陰口を叩かれていたこともある。

周りで友達と楽しそうに話すクラスメイトを見ていると「私はみんなが『普通に』できるコミュニケーションすらできない、社会不適合者なのだ」と感じた。

通っていた学校は中高一貫だったので、私はそのまま高校に進学した。高校一年の夏、もちろん部活にも入ってなかった私は、とにかく暇な夏休みを過ごしていた。

「このままの自分ではだめだ…」
うだるような夏の暑さのなかで、とにかく解決策を考えた結果、私は一つの結論に達した。そうだ、留学に行こう。

自分を変えなければいけない。でも、変えれない。それなら変わらざるを得ない環境に身を置けばいい!

私が通っていた学校では民間の国際教育交流団体を通じて、約一年間の交換留学生を受け入れていた。私はその団体を利用して、一年間の留学に行くことを決意した。

それまで溜め込んでいたエネルギーを私は一気に爆発させ、まずは親に頼み込み、次に試験を受けて、合格後は手続きを済ませ…と準備を進めていき、あっという間に留学に飛び立った。

留学先で耐えた先で得られたもの

結果から言うと、留学中は地獄のように苦しかった。特に私の利用した団体は、まさにコミュニケーションや異文化交流を重視しており、もともとコミュニケーション能力のある人が、更なる交流を求めて利用しているような性質のものだった。私にとっては、近所を散歩するのでさえ息切れするのに、いきなりフルマラソンを完走しようとするような、正直無謀すぎる行いだった。

最初は言葉の壁で話せてないだけだと思われていたようだが、半年経ってもほとんど話さない私に、団体の人やホストファミリーは苛立ち気味で、辛い言葉も投げかけられた。

私は自分のコミュニケーション能力の低さに改めて悔し涙を流し、話したいのに話せない自分がとことん嫌になった。例え環境が180度変わったとしても、世界のどこにいったとしても、結局自分は自分なのだと心底思い知らされた。

しかし、一年間耐えきった。すると、ほんの少し変化があらわれ、私は人と僅かだが話せるようになっていた。

留学して何が変わったのか?それは、やはり小さな経験を少しずつ積めたことではないかと思う。

異国の地で、私は私なりに「コミュニケーションをとる!」と目標を掲げ、本当に小さなこと(例えばあいさつをするなど)から、少しずつ取り組んでいった。また、クラスで私のように人付き合いが苦手な子がいて、その子と少し話したりなど、人と話す経験も積めた。

その後、日本で一つ下の学年に復学した私は、そこで同じく人付き合いが苦手な女の子と友達になった。そのまま大学に進み、いまでは社会人として働いている。

社会人になって振り返るコミュニケーション力

今でも私はコミュニケーションが苦手だと自負している。明るくもないし、面白い冗談も言えない。世間話やあたりさわりのない話もうまくできないので、そういうコミュニケーションが上手い人を見ると、どうしてあんなふうに出来ないのだろうとも思う。でも、仕事上に必要な最低限のコミュニケーションは取れているので、今では昔ほど深刻に悩んではいない。

今思うのは、別に世の中コミュニケーション力が高い人ばかりではないのでは…?ということだ。もちろん、高いに越したことはないし、そういう人は心底羨ましい。でも、みんながみんなそうではないし、そうじゃなくてもそれなりには生きていける。

中高生のときの私は「コミュニケーションがとれないなんて私は出来損ないだ」と思い込んでいたし、自らに暗示をかけていた。だからこそ、留学に行くエネルギーも出たのだと思う。でも、大人になって社会に出て、少し視野が広がったし、自分にいい意味で諦めもついた。まだコンプレックスはあるが、生きやすくなった。

きっと、昔の私に「時間が経てば苦しみが和らぐよ」と声をかけても、頑なに信じないだろう。でも、もし昔の私のように悩んでいる人がいたら、やはり同じように声をかけてあげたい、と思う今日この頃であった。