美しくなければ生きられないと思っていた。

あぁ、あと5ミリ鼻先が下を向いていたら。二重幅が広かったら。皮膚が厚く健康で、毛細血管の赤みがみえなかったら。頬骨が華奢だったら。小鼻が薄かったら。鼻の下の人中が短かったら。唇がふっくら厚かったら。歯並びが綺麗だったら。

考え出すとまるでキリがなかった。自分の顔で好きなパーツなどなかった。こんな顔では生きていけないと本気で思っていた。

美容サロンで働いていた時、スタッフの大半が美容整形をしていた。1人のスタッフさんが言っていた「たった1本、目の上に線があるだけで周りからの扱いが違うんですよね」と。穏やかな人で、にこやかに話す彼女の言葉には自嘲が含まれていた。

ここで美容整形の話がしたい。

たった1本の線にこだわり続けた

しかし美容整形をするにあたって、きっかけになるようなエピソードがほとんど無い。

私は自分の容姿について酷く馬鹿にされたり、いじめを受けたことがない。きっとその理由は気の強い性格とか、どこか一つを馬鹿にするには絶妙なラインの顔だった、という所かもしれない(笑)。強いて挙げるなら、元々ほぼ一重まぶたで目つきが悪いので、生意気そう・不機嫌そう・睨んでいるのかと言われることくらいだった。

高校生の私は、毎日デパートブランドのスキンケアで肌を整えて、BBクリームを塗って、二重まぶたを作った。そうしないと外に出られなかった。特に二重まぶたを作るアイプチだけは寝る前まで外せなかった。18歳で二重に整形するまで、ほぼ毎日たった1本の線にこだわり続けた。

18歳の頃、埋没法で整形をした。恐らくこの辺りから私の自分の容姿への異常なこだわりが強くなっていった。

22歳の頃、無理にデザインした埋没が取れてしまったので切開をした。今度は二重切開の他に、眼瞼下垂、眉下の皮膚の切除、目頭切開というフルコース。美容外科のアップセルにまんまと乗っかった。後悔はしていなかった。

燃えるような鈍痛、吐き気

手術当日、はじめは笑気麻酔という吸引系の軽い麻酔から、点滴の静脈麻酔、そして意識はすぐになくなった。ひどい眠気と「終わりましたよ」という看護師さんの声で起きた。酷く腫れた目をみて、ああ、ようやく終わったんだと解放された気持ちになった。だるい身体を何とかひきずって、燃えるような鈍痛に耐えた。直接目が痛いのではなく、ひっきりなしに頭の方が潰されるような痛みだった。吐き気も酷かった。

「こんなに辛い思いをして綺麗にならなければ生きていけないのか」

考え続けた。私は何に呪われているのか?

私だけじゃなかった

あれから2年が経った。私は相変わらず自分の容姿も自分自身も愛することができない。けれど、そんな人が周りに沢山いることに気づいた。私だけじゃなかった。

最近友人が顔の脂肪吸引をしていて、ビフォーアフターの写真を楽しそうな様子で見せてもらった。お世話になっている上司は美容クリニックで働いているので、気になっていたヒアルロン酸、美容点滴、レーザーを打ってもらい、とてもいい経験になった。思っていたより涙袋のヒアルロン酸って痛いんだなと思いながら、これを世の中の可愛い女の子たちは我慢してうっているのだと思うと少し切なくなった。

 
もちろん美容整形は良い面だけではなく、手術がうまくいかないこともあるし、医療事故も起きている。ひとつ整えるとバランスが分からなくなってしまうので依存しがちになってしまう注意が必要な面もある。

いつか、自分を好きになれたら

よく勘違いされるのが「男の人にちやほやされたいから美容整形をする」ということ。そういう理由で美容整形を選択する人が間違いなわけではなくて。たぶん多くの人は「自分自身を少しでも好きになりたい」とかそういう理由からなのでは無いかなと、私が関わった人たちを見ていて思う。自分に自信を持つことの選択肢のひとつに、美容整形が当たり前にある現代に生まれてよかった。

美しいものがとても好きだ。人もモノも物語も。私がその「美しさ」の対極にいる人間に感じるのは、果たして自らの容姿が美しくないからなのだろうか?24歳のいま私は、はいと答える。どんな苦痛でも耐えて、私は見た目を美しくしたいと思う。

けれど、それは世の中が美しくない私を疎外しているからではないし、これは私の価値観のひとつに過ぎない。誰にも真の美しさは定義できないのだ。そして、何者かに虐げられたからではなくて、虐げているのは実は自分だということに気付いている。そして自分を愛せないのは容姿だけが問題ではないと言うことも。

容姿とは、自分を愛せない要因のたった一つでしかないのに、私の自意識はその事実を改変して膨張させ、それこそが人生の全てだという呪いをかけている。

例えばその敵が、見た目至上主義である「社会」だという人もいるだろうし、特定の自分を傷つける誰かという人もいるだろう。容姿とは、人間を構成するひとつの要因に過ぎないという価値観を持つ人は、どれほどに居るのだろう。しかし、かけられた呪いを解くのは自分だ。きっかけが何であろうと、自分の意識を解けるのはいつだって、物語の主人公である自分なのだ。その意識が解かれた時、私は私のすべてを愛し、本物の美しい自分になれると信じている。

いつか自分を好きになれたら、私はもっと優しい自分で周囲を愛せるかもしれないなと気づくことができた。

ペンネーム:釜

1995年生まれ。映画観賞、歌、観劇、美容が趣味。美しいものについて常に考え続けています。Twitter:@qolko