5年後の女の子たちへ。何をしていますか?
どう生きていますか?
あなたがしたいことをして、やりたいことをやって、エナジーをぶっぱなして生きてますか?
男も女も関係なく、そういうヤツがサイコーでクールでイカしてる時代になりましたか?
世の中における「女性らしさ」の流れはこの数年で大きく変わりました。
それに伴って、なのかはわかりませんが、私もこの数年、人生の中でもかなり大きな変革の時間を過ごしてきた気がします。
自己卑下妖怪「ブス洗い」がライター「美人」になりました
20歳の頃、自己卑下妖怪「ブス洗い」(どす黒いコンプレックスをザルにいれて川で永遠に研いでいる妖怪)から、ライター「美人」になりました。
ブログ「美人ブログ」を立ち上げ、ある日突然勝手に「美人」になりました。雨宮まみさんの「女子をこじらせて」を読んだのがきっかけでした。
21歳の頃は、料理なんか普段しないくせに、手料理自慢のスナックイベントを企画して「美人ママ」になりました。
22歳は、大好きな昭和の音楽を「好きだ」と宣言して、仲間とマハラジャ(ディスコ)に繰り出したり、東大の大学院に入ったりしました。
今までの人生でやってはいけないと思い込んできたことを、開き直ってやってみた3年間だったと思います。
「ブスのくせに」で言えないことを「美人だから」言ってみる。
「女の子が企画をして前に出ると、損をする」と思っていましたが、「まぁいいか、ウマい料理とウマい酒を好きな人たちに振る舞いたいんだよね」で、やってみました。
その時代に流行っている音楽が自分に響かないなら、開き直って、好きな曲を好きだって言えばいいんです。クラブに行けないなら、ディスコに行っちゃえばいいし、なんだってできるし、どこにだっていけるんですよね。
23年分の美人ダムが大決壊!!
国内最高峰の大学院に行っちゃったら男の子が気おされる?知りません。
それまでずっとあった、「エネルギーをさらけ出してはいけないのではないか」という封をを引き剥がし、ちょろちょろ出してみたら、気がつけば濁流のようになっていました。
大決壊です。23年間心にとどめてきた、美人ダムが放水です!
雨水がダムを超え、川を下り、水道管を経て、たくさんの蛇口から吹き出すように、私の文章が、企画が、ユーモアが、誰かの元へ届き始めました。
幸せなことです。
でも、今までは溢れ出るものをどうしたらいいか、分からなかったんです。ずっと、悩んできました。
前に出るか、女を捨てるか「二択しかない」と思っていた
1人の「子ども」として悩んだこともあるし、「女らしさ」として、悩んだこともあります。
子どもとして、お堅い学習発表しか許可されてない文化祭で、先生に出し物がしたいと提言したこと。女の子だから生徒会長になっちゃいけない気がして、女の役職っぽいと感じた書記に立候補したこと。
女の子は男の子に一番の場は譲らなければいけない、その方が得だと思っていたこと。
時に、男の子より頭が良かったり、面白いことがあり、それは損だと思っていたこと。
前に出てはだめだと、思ってきました。前に出るか、女を捨てるか、その二択しかないと、本気で信じてきました。
女らしくあるために頑張らなくてはと思っていた
そのことが私の悩みでした。男に生まれれば良かったと、思ったことはありません。女で良かったと、思います。だけど、女に生まれたので、女らしくあるために頑張らなくては、とは思ってきました。
「らしく」というのは難しいもので、ガサツさやエネルギーを相殺するために、スーパーガーリーな持ち物を持ってみたり(どデカいクマのぬいぐるみをスクールバッグにつけていた。迷走)、どうしたらみんなが私を「女の子」として扱ってくれるのかに悩んでいました。
七転八倒、パワーとコンプレックスとキューティーのがんじがらめの中で、身動きが取れなかったのです。女としての偏差値と、自分らしさ、やりたいことやる姿勢は、両立し得ないと思い込んで来ました。
トップに立つ女性が許せなかったこともあった
どうしても、女性政治家や、女性起業家や、トップに立つ女性が許せなかった。「なんで女なのにそんなことをするんだ」と思ってきました。野心のある女が許せなかったのです。それは、私もまた野心がある女であり、その野心を封じ込めるのに必死だったからです。
自分に許してない行為を行う人間を許せるわけがありません。
「したいことをする、エネルギーを出す女はモテない」。それは私の決めた呪いでした。でも、まみさんの「女子をこじらせて」を読んだあと、どうせモテないんだから、と、開き直って、試しにパワーを解放してみました。すると、不思議なことに、その方が人間としてモテ始めるんですよね。キラキラし始める、と言った方がいいのかもしれない。
圧倒的開き直りは、小賢しいとってつけた「モテ」を超えます。
「私は、こういう風にしか生きられない」という涙ながらの仁王立ちは結構人生に効きます。(実際にするかは別として、メンタル部分でね笑)
男の子に「気に入られる」服を考えるのではなくて、私が最大限に魅力的に見える服装を確立する。
エスコートするのは、「男の子だけ」じゃなくて、人を楽しませるのが好きな女の子がいてもいい。
「いいじゃん、したいんだし」で済ませると、まわりも、「いいじゃん!」となったりする。顔色を伺ってモジモジしない。それが「美人」として私が手に入れたことだと思います。
「ふつうのかわいいおんなのこです」看板たてたのに、誰もこない!!
出てくるものは出さないと、健康に悪い。溜め込むとダメ。「エネルギーの便秘」みたいなものに、もう23年間四苦八苦してきました。
人一倍、パワーが強く生まれてきてしまったのです。「泣いた赤鬼」の童話のように、洞穴で、「人間と仲良くしたい…私は鬼なので、仲間に入れてもらえない…」みたいな気持ちで生きてきました。「ふつうのかわいいおんなのこです。なかよくしてください」って看板立ててね。でも誰もこない!びっくり!
だけど、友達の青鬼も連れて、集落に、シクヨローー、って降りて行ったら、意外と「アリ」だったんですよね。「ツノある!尖ってる!いいでしょー、へへっ、2本もある!」とかやってると、なんか自他共にイイ気がしてくるから不思議です。
そういうもんはそういうもんだ、という開き直りは強い気がします。もちろん、エネルギー(圧)が強いことだけが、良いわけではありません。その人と一緒にいると安らかな気持ちになるなぁ、とか。欲がなさそうなところが、いいなぁとか。人それぞれ背負った習性は違います。エネルギーを我慢することも違いますし、カラ元気を出すことも違います。
そのひとがその人らしくあるときに、魅力が1番際立つんだ、私はそう思います。だから私が、5年後の女の子たちにかける言葉は「あなたはあなたのままで、大丈夫」です。
今までもこれからも。ずっと。あなたはあなたのままで、大丈夫。だって私たちは、美人だから。5年後の世も、素敵な女の子たちの目がキラリと輝く時代でありますように。
10月11日は国際ガールズ・デー エッセイ募集中
「女の子らしく」「女の子なんだから」……小さな頃から女性が受けてきたさまざまな社会的制約。ジェンダーに関わらず、生きやすい社会を実現していこうと、「かがみよかがみ」では、10月11日の国際ガールズ・デーにあわせ、「#5年後の女の子たちへ」をテーマとしたエッセイを募集しています。ステキなエッセイを書いてくださった方は、フェミニズムの第一人者である上野千鶴子・東大名誉教授にインタビューする企画(10月中旬、都内で開催予定)に参加することができます。この企画に参加希望の方のエッセイ締め切りは10月6日までです。