5年後の私達へ、と書いて手が止まった。5年後の女の子と私は違うことに気づいたから。5年分新しい価値観をもった、新しい女の子達。
その頃には私だって、"古い"人間になっているかもしれないし、いわゆる"老害"になりかけているかもしれない。だからこれは自戒もこめた文章で、それでもなお、5年後には"古い"と言われる可能性のある文章だ。

アセクシャルの私は同性婚も選択的夫婦別姓も関係ないと思っていた

私は鈍い人間だ。人を傷つけて気づきもしない。私は恋愛感情を抱かないアセクシャルで、発達障害で、さらには2万人に一人といわれる遺伝疾患のアルビノでもある。そういったマイノリティな属性を持っているからマイノリティの人々の受けている理不尽に気づくことができただけで、マジョリティ側に立っていたら、そう、例えば異性愛者だったらきっと、「差別? いつの時代の話をしているんだ?」なんて、無神経なことを言っていたに違いない。
その理由はたぶん、当事者意識を持てないから。たとえば、恋愛感情を抱かないし誰かと家庭を作りたいとも思わない私は同性婚も選択的夫婦別姓もなかなかピンとこなかった。それができるようになって、私の生活がよくなるのだろうか。別によくならなさそうだから、関係ないや。そんなことまで思っていた。

誰かの選択肢が増えることは、あなたを不幸にはしない

無自覚に人を傷つけて友人を失った最近になって気づいたことだけど、同性婚も選択的夫婦別姓も、選択肢が増えるだけのことなのだ。その選択をしない人には何の害もない。いいことも、悪いことも特に起こらない。でもその選択をしたかった人には朗報になる。つまり、世の中に幸せな人が増えるのだ。今は同性婚も選択的夫婦別姓も実現するといいなと思っている。
誰かの選択肢が増えることは、あなたを不幸にしない。そんなこと、もしかしたら5年後には当たり前かもしれない。でも今はそういうことを声を上げて言わなくてはならない状況なのだ、残念ながら。

人はたくさんの属性を抱えて生きている。それは絶対的なものであることも、相対的なものであることもある。そしてその属性によって、マジョリティとマイノリティを行き来する。いつ何時自分がマイノリティになり、虐げられるかわからない。常に虐げられるとも限らないし、虐げる側に回ってしまうこともあるかもしれない。それは流動的なものなのだ。
マイノリティを殺すのはいつだって無知と想像力の欠如だ。

無知と想像力の欠如が誰かを傷つける

閉じてしまわないで。世界を自分の半径50センチで完結させてしまわないで。それはいつか誰かを殺し、めぐりめぐって、あなたを刺す刃になるから。
私も過去の自分の無知と想像力の欠如に刺されて、今も刺され続けている。過去の自分が持っていた発達障害への偏見に今も晒されている。無知と想像力の欠如で失敗して、そして消えたくなる。私は実際に何度か消えてきている。つまり縁を切った。それでも消えずに向き合わなきゃいけないときはある。そこで逃げないでいられるのが強さなのかもしれない。

だから、知らねばならない。知ろうとしなくてはならない。新しいものも、今起こっていることも。それは誰かを傷つけないためではなく、自分で自分を刺してしまわないためだ。知って、想像するのだ。共感ではなく、思考で。

5年後には、この文章が「こんなことわかってるよ、当たり前じゃない」と言われることを願っている。いや、願っているだけじゃいけない。願って、動いて、掴みとるんだ。黙っていては虐げられるばかりだもの。
私は書き続けて、その礎を築きたい。

無知と想像力の欠如に殺されないで。
無知と想像力の欠如で殺さないで。

ペンネーム:雁屋優

アルビノのライター。セクシャルマイノリティについても記事を書く。問題提起だけではなく、アルビノの現実を発信していきたい。趣味は読書と一人旅。京都が好きで何度も訪れている。
Twitter:@yukariya07

10月11日は国際ガールズ・デー

「女の子らしく」「女の子なんだから」……小さな頃から女性が受けてきたさまざまな社会的制約。ジェンダーに関わらず、生きやすい社会を実現していこうと、「かがみよかがみ」では、10月11日の国際ガールズ・デーにあわせ、「#5年後の女の子たちへ」をテーマとしたエッセイを募集しました。