いとこのお兄ちゃんが年末に結婚式を挙げる。椿山荘で、身内だけのカジュアルな式を挙げるらしい。成人式の時に着たミントグリーンのドレスを引っ張り出して、車いすのおばあちゃんに着せるきれいなワンピースを買いに行った。

誰かの結婚式に呼ばれて行くのは、わたしの21年の人生で2回目だった。

白いマーメイドドレス。まるで女優のようだった

17歳か18歳のとき、好きな人の結婚式に行った。

いまになって冷静に考えるとよく行ったなと思うけど、当時は呼んでもらえたことに喜んで、なんの疑いも持たずに行った。好きな人のドレス姿が見たかったから。

実際、白いマーメイドドレスを着た好きな人は本当に本当にきれいで、映画で見るキラキラした女優さんのようだった。

参加している人はみんな笑顔で好きな人を祝福していて、会場にはポジティブな感情しか存在していなかった。その人はずっと幸せそうで、ときどき少し泣いて、隣に座っている人と笑い合っていた。

わたしも幸せだった。自分の好きな人がこんなにたくさんの人に祝福されていることが。

高校生だったわたし。ひたすら惨めな気持ちになった

式が終わって、会場を出てしばらく歩くと靴擦れが気になってきて、そしてやっと泣いた。

別にあの人が結婚したことが、自分の手に入らなかったことが悲しくて泣いたわけじゃない。あの人は大人だし、わたしはまだ高校生だったから、そんなことは最初からわかっていた。自分の気持ちを伝えられないままあの人が遠い存在になってしまったことが悔しいわけでもなかった。

ただ、対象にすらなれなかったことがひたすらに惨めだった。

もしもわたしが男性だったら、あるいはあの人が男性だったらどうだっただろう?

たぶん同じような気持ちになっていたとは思うけど、きっとショックは少なかったし、きれいに諦められていた。向こうが大人でわたしが子どもだからとか、わたしと出会った時はすでに好きな人がいたとか、いくらでも言い訳はつけられたし。

わたしはあの人にとって、恋愛感情を向ける対象にすらなれなかった。なれなかったというより、最初からその対象に含まれていなかったし、これからも一生なかっただろう。もしわたしもあの人も大人だったとしても。

だけどわたしは別に男の人になりたかったわけじゃないし、あの人が女の人だから好きになったわけでもない。縁がなかったと言ったらそれまでだけど、まあ、そういうことなんだろう。

誰かを好きになるのに性別を意識したことがなかったし、小さい頃から性別自体を意識したことが全然なかった。自分のも他人のも。

一緒にいるのが楽な人と仲良くしたし、好きだと思った人と一緒にいるようにしたし。結果的に男性の友だちが多かったり、女の人を好きになったりしただけで、性別はそこについてくるものでしかなかったと思う。

でも、少なくとも日本では、それを意識することがスタンダードだったみたいで。特に恋愛においてはそれ以外のものは無視されることが多い。

あの人を好きになった時も、ドラマチックな葛藤とかは全くなく、自分の気持ちを受け入れることができた。でも、いまよりもさらにダイバーシティへの理解がなかった当時は特に、それが必ずしも祝福されるものではないことくらいは理解していた。

かりに、万が一、わたしの想いが叶ったとしても。いくらわたしが幸せだったとしても、同性同士だからという理由で、わたしたちは祝福してもらえないだろう。

どうして皆そんなに性別を気にしているんだろう。どうして人を好きになるときに性別を考えなくちゃいけないんだろう。どうして自分が女の身体で生まれてきた時点で、好きな人と幸せになることを、最初からあきらめなくちゃいけなかったんだろう。

泣きながらわたしはあの人のドレス姿を思い出して、突然自分が今までの自分とは違う存在になったような感覚に襲われて、急にひどく孤独になった気がした。

結婚式に行くと、あのときのことを思い出す 

あれから5年くらい経って、わたしはどうにかこうにか大学生をしている。パートナーもいるし、あのときのことは覚えてはいるけどずるずるしているわけではない。

12月、いとこのお兄ちゃんの結婚式ではあの日の孤独を思い出すことなく、100%の祝福を贈れますように。ふっとそう思いながら、式の前日に美容院を予約した。

ペンネーム:お嬢

美容オタク。クリスマスコフレ欲しいの多すぎ。