こんなにも容姿を褒められることがあるとは思ってもみなかった。私の容姿がどうしてその人にそんなに"刺さった"のかもよくわからない。
まあそれでも人には容姿の好みというものがあって、それは否定できるものではない。黒髪の女の子を好きになる人もいれば、金髪の女の子に恋する人もいる。いろんな好みをもった人がいて、私のなかにも容姿の好みというのは存在している。好みそのものの人の前で理性がぶっ飛んで好きですと言い続けたことだってある。あなたの容姿が好きです大好きですとても好みですって思いつく限りの褒め言葉を並べた。確実にあのときの私は様子がおかしかったと思う。それでもそれほどまでに理想を体現した容姿だったのだ。
"刺さる"人には"刺さる"容姿なのかも
そして私は生まれつき色素が少ないもしくはなく生まれ、目や髪の色が薄く、日焼けに弱い遺伝疾患、アルビノである。特徴的な容姿をしていることは言うまでもない。ミルクティーブラウン色の髪に、白い肌、ひまわりの咲いたグリーン系の瞳。"刺さる"人には"刺さる"容姿なのかもしれない。
人が人を好きになるきっかけにはやはりどこかしら容姿が絡んでくるのだろう。だから、容姿を磨くための情報が載っている雑誌は今日もたくさん売れるのだ。
私は容姿を貶されたことも褒められたこともあるから、特別自分の容姿が優れているという実感はない。この日本では容姿で食べていける人くらいしか自分の容姿に自信を持てないのだろうとさえ思うことがある。それくらい簡単に人をブスと言ってしまう人達がいるのだ。
しかし私は以前のエッセイで私は私を美人と言ってくれる、私に好意的な人のもとへ行くのだ、と決めている。だからブスと言ってくる人達のことは積極的に関係を切っていく。そう決めたのだ。
そんな決心のところにいつかの自分が好みの容姿の持ち主にしたような、本気で私の容姿に魅入られている褒め言葉が雨のごとく降ってきたのだ。私は困惑した。私は私の容姿を美醜で言えば普通だと思っている。色彩は美しいかもしれないけど顔は普通、くらいの認識だった。私は自分で自分に、"誠実な褒め言葉をしっかり受け取る"ことを課しているので否定しなかったけど、とても困惑した。
見た目を褒められることは努力を褒められること
ところで、アルビノというのはユニークフェイスや見た目問題の一つとして挙げられる疾患である。私のなかではアルビノ故の特徴的な見た目よりも視力が低いことが大きな問題であったが、見た目がまったく問題でないということではない。このきれいな見た目を理由に、「お客様に毎回説明できるわけではない」などと言われて、アルバイトを数えきれないほど落とされているのだ。もしかしたら、就活でもそれで落とされたかもしれない。
そんなアルビノの人に容姿の話題を持ち出すなんてよくない、と思うだろうか。実際、アルビノをきれいって言っていいのかという話はメディアにも取り上げられている。きれいと言われるのが嫌だというアルビノの人もいるかもしれない。
でも、私は"容姿を褒められて"嬉しかった。その褒め言葉が純粋に容姿だけに向かっていたから嬉しかった。「きれいだから(苦労するけど)いいじゃん」などという文脈ではなかったから、素直に受け取れた。
容姿そのものを褒められることは嫌ではない。だって私だって似合う服を考えたり、メイクをしたり、面倒くさがりだから人並み以下かもしれないけれど、きれいになるための努力はしている。それも含めて容姿なのだ。褒められたら私は嬉しく思う。
あ、じゃあアルビノの人にきれいって言っていいんだ、ということではなく、これは私がきれいと言われて嬉しい話なので、きれいと言っていいかは相手を見ながら考えて欲しい。