自らを飾ることが結構好きだったりする。

朝起きてすぐの私は結構とんでもない。髪は鳥の巣、顔はぱんぱん、パジャマは必ず片方の肩がだらしなくなっている。そんな自分を、少しずつ少しずつ、自分の選んだ色や形で丁寧に飾っていく。例えば今日は唇はオレンジで。例えば今日はお気に入りの赤い靴で。時間がないときでもできうる限り丁寧に、丁寧に。誰に見せるともわからない自分を、なんの予定もないのに丁寧に丁寧に飾っていく。

そうして出来上がった自分は、毎日結構悪くない。どれくらい悪くないかというと、毎朝鏡の中の自分に「今日も悪くないじゃん」とニヤッとしながら呟けるくらいには悪くない。

たとえば、ふと電車の窓に映った自分や、トイレの鏡で手を洗いながらふと顔を上げた自分が悪くないと、「悪くないじゃん?」と言ってしまう。

でも、そんな自分が揺るがされるときがある。それは恋人に「今日の格好…なんかちがくね?」と言われたときでも友人に「それ似合わないね」と言われた時でもない。

飾らなくても美しい人に会った時である。

メガネにボサボサの髪に、Tシャツにチノパンを履いて無表情で階段を上るそれらの人に出会うたび、特段なんの用事があるでもないのにオシャレした自分が恥ずかしくなる。浅ましいとすら感じてしまう。

見た目を繕う仕草は、内面のなさを表しているのかも?

メガネでボサボサの髪、それはある種の「自信」である。その自信は、「それでも私は美しい」かもしれないし、「私は『美しさ』とは全く別の尺度において自信を持てる」ということかもしれないし、あるいはもっと単純に「私はこれが好き!このことだけ考えていられればそれでいい!」かもしれない。そんな人たちを見ると、私は「私がナチュラルな自分のことを美しい/魅力的だと思っていない」ように感じてしまう。

これは、「自分を魅力的じゃないと思っている」こととは全然違う。

私は自分のことを魅力的だと思うから飾るのだし、より魅力的にするために飾るのだ。魅力がないと思っているわけがない。でもいくら言い聞かせても、ナチュラルに美しい人たちと何度も何度もすれ違うたびに、「私は自分の中身をからっぽだと思い込んでいるのか?何て愚かなんだろう」と思ってしまうのである。

そう、見た目を繕う仕草は、内面のなさを表しているように私は思ってしまうからである。

上辺の美しさを取り繕っているように見える私と、ナチュラルな自分で十分に美しい彼女との間で、「本当の美しさ」という所在ないものをめぐって常に争いが起きている。

私がうだうだ考えていることを、彼女たちは1%ほども考えていない(ように見える)ことが、更に「ひとり芝居」感を増して恥ずかしさを煽る。

「見た目に囚われるな」VS「私は彼女よりも美しいのか」

それでも私はどうしても気にしてしまう。「もしも私が今、すっぴんだったら彼女より美しいのか?」「あるいは、今は?」「これほどきちんと着飾っている私ですら、彼女より美しいのか?」見た目という価値観の牢獄と、「見た目に囚われるな」という価値観の圧力に押しつぶされる。

そしてふと電車の窓を見ると、白さが目立つ、疲れた顔の女が立っている。まるでリヴィングデッドだ。いつもだったら思い出さない、「あなたって化粧しないと顔微妙だよね」とかいう友人からのクソみたいな烙印をクソみたいな気持ちで思い出す。

だから何??別に私の顔は君を楽しませるためにあるわけじゃないし、私が化粧をするのは君に評価されるためではないんだが?

と啖呵を切ってみると少しスッキリした。そうだった。私は誰のためでもなく、私が自分至上一番素敵だ、最高だと思いたいからメイクをするんだった。私はいつも、そう思ってメイクをしオシャレをし時には香水を身にまとうのに、こんな些細なことですぐ揺らいでしまう。

「今日の最適解」を身につけて宣言する

それでもやはり、何もしない自分を美しいと思って生きていける人はうらやましいと思うのだけれど。

「メイクは嘘」「メイクはごまかし」とよく言われるし、「本当の美人は化粧をしなくてもきれい」みたいな御託はごまんとあるから、日々その価値観に押し流されながら生きている私は無意識のうちに「本当の美人」的な存在である彼女たちに心のどこかで嫉妬心ともいえない劣等感を抱えてしまうのだろう。

だから宣言しないと忘れてしまうのだ。「あなたの評価は、私には関係ありません。どうでもいい」と。

私は毎日、自分の選んだ私にとっての「今日の最適解」を身につけることで、外に出て生き生きと動くためのスイッチを入れているのである。それはあまりにもすぐ揺れて、壊れかけてしまうけれど、それでも私にとっては大切なことなのである。

だから今日も、私は「今日の私がなれる中で一番美しい自分」で歩いていくのである。

ペンネーム:HOKU

フェミニズム・ジェンダー・たくさんの人たちの生きづらさに少しでも寄り添いたい。ジュネーヴに少しだけ住んでいました。映画好き。時々人生につかれます。
Twitter:@hiver_snow10