「あっ、あなたの前で胸の話して、ごめんな?(笑)」
女子の友人から突然こんなことを言われた。
頭にはてなが浮かんだ。ごめんなって、何に対して謝ってるんだろう。わたしは友人の胸にまつわる話を聞いていただけなので、謝られる理由がどこにも見当たらない。わたしの前で、なぜ胸の話をするのがいけないのか。理解できなくて、頭が固まった。その時はなんとなく流したけれど、心にどこか靄がかかった。
「胸が小さい」は「胸が大きい」に劣っている?
友人からすれば、面白おかしく何気無く放った一言だったのだと思う。しかしその一言は、時間が経っても魚の骨のようにずっと喉の奥に引っかかった。取り出せなかった。
暫く考えて、とりあえずわたしは友人の発言を分解することにした。「胸が小さいわたし」の前で、「胸が大きい彼女」が胸の話をすることがよくなかった、だからごめん。そんな風に分解できた。
結果、この発言には大前提として、「胸が小さい」は「胸が大きい」に劣っているという価値観が混ざりこんでいることに気付いた。
私より劣っている胸を持っているあなたの前で、あなたより優れている胸を持っている私が、あなたが気にしているであろう(劣っているんだから気にしていなければならない)胸の話をしてしまった。ごめーん(笑)。
言い方を意地悪にし過ぎたけれど、つまりはこういうことだと思う。
性的な雰囲気が出づらく中性的な、小さい胸の方が好きだった
この19年、胸が気になるなんてことはなかった。恋人はあまり胸の大きさを気にする人ではなかったし、他人にも胸が小さいことについて何か言われたことはなかった。
何よりわたし自身、性的な雰囲気が出づらく中性的な、小さい胸の方が好きだった。だからわたしは、自分の胸が他人より劣っているとか、他人と比べるなんて発想自体がなかった。
能天気に生きてきたわたしは、彼女の発言によって突然胸の大きさが大きいほど強いとされる世界線に引きずり込まれた。そして知らないうちに、自分の小さい胸は大きい胸より弱い、という戦が始まっていた。
コンプレックスが芽生える瞬間
胸って大きくないとだめだったんだ。
小さいと魅力がないんだ。
胸の大きいあの子は、胸が大きいからあんなに自信満々に胸の大きさについて語れていたのか。
わたしは戦う気も優劣をつける気もなかった。しかし、その瞬間からわたしの脳内には「胸は大きい方が良い」という価値観が、こびりついてしまった。
昔からのコンプレックスとはそれなりに付き合い方を覚え、他人に言われたところでそんなにショックは受けないようになり、他人に「評価されること」に慣れていたのだ。本当はおかしいことなのに、慣らされていた。
わたしはきっと、周りの人たちに恵まれていた。偶然にも「胸が小さいと魅力がない」という価値観と、そうやって胸で人の魅力を判断する術を一切知らなかった。周りに胸が小さいことでいじられている子や、いじってくる子が一切いなかった。
自分のものであるはずの「胸」が「他人」によってずけずけと品定めされてしまう。
その事実が世の中に、異性によって、同性によって。
まかり通っていることが、ひたすらにショックだったのだ。
もちろんそれは、本来なら胸だけではなく見た目に関するもの全てに言えることだ。でもこのおかしさに、わたしも、みんなも、気付けない。
自分の身体から腐った泥みたいな臭いがした。
コンプレックスが芽生える瞬間を、鮮烈に自覚した。
ペンネーム:山逆
やまさかと読みます。
知らないことを知ることと、文化が好き。
胸が小さい人向けのランジェリーブランドで勤務したこともきっかけで、コンプレックスについて深く考えるように。
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Twitter:@n_sanmyaku