“メンヘラ”という言葉は好きではないけれど、あえて使うなら、まるで悲劇のヒロインが憑依したみたいな、“メンヘラ”になってみても良いときがあるんじゃないかと思う。

それは、恋人に振られるときである。

好きで堪らない相手に別れを切り出されるときほど、思う存分メンヘラにならなければならないといけない、とすら思う。

何故なら、メンヘラになってこそ、これまでの不満を精算でき、自分自身で納得のいく別れができるからだ。

付き合ってから一度も彼の前で泣いたことがなかった

いつかの年末、私は当時付き合っていた彼と「ロイヤルホスト」にいた。周りがランチで談笑しているなか、私たちの間はまるで真空みたいに言葉がなかった。ひどく口を開けにくそうにして、やっと彼が切り出したのは「友だちに戻りたいです。」の一言。きた、と思った。もうここ何ヶ月も予行練習していた場面が、いま現実として来てしまったと思った。

いざとなると返す言葉がないというか、また私も、口を動かせなくなってしまうんだなあなんて考えてもいた。「えっ、と」と頭のなかで発音したとき、ふと、ある友人のことが浮かんだ。その友人は浮気性の彼がいたのに、彼の前では文句ひとつ言わない女性だった。やつれていく彼女を見て、また別の友人が「泣けたら良かったのにね」と言った。彼の前で泣けていたら楽になれたのにね。

思い返してみれば、私も付き合ってから一度も彼の前で泣いたことがなかった。彼から連絡がこなくて不安になろうが、女の子関係を問いたくなろうが、いわゆる“メンヘラ”チックなことは避けてきた。私は今、泣いた方がいいのかもしれない。泣け、と思った。ここで泣けたら、これまでのつらい思いに報えるかもしれないと思った。

「別れたくない」8時間泣きじゃくった

震える口で、「別れたくない」そう言った。
かすれるほどの声で、でも2回目はさらにはっきり
「別れたくない」
と言った。今までの自分だったら絶対に言わなかった言葉だ。2回言ってしまえば、次からはスムーズなもので、3回目、4回目とするすると言葉がでてきた。

やだやだやだやだやだ…。駄々をこねるようにぼろぼろ泣けた。周りのことなんて気にしていなかった。彼にとって、非常に面倒くさかったと思う。

話が平行線なので、もう少し騒げるフードコートに移動した。泣くために場所替えする冷静さは今思うとウケるが、当時は未練を片付けることに粉骨砕身だった。移動中、スカイツリーのすみだ水族館に行こうよ、なんてことも言っていた。やべえ女である。

フードコートでもしっかり泣き、買ったものの食べる気のないアイスが溶けるのを見てまた泣いた。これが最後なのだと思って、事態が決して好転しないことを知りながら、在庫を消費するように「別れたくない」と泣きじゃくった。時間にして8時間ほどである。だんだん参ってきて、彼も泣いた。

区切りをつけられて、地獄のような別れに付き合ってくれた彼に感謝

迎えにきてくれた友人の車の中ではNHKの紅白歌合戦が流れ、鼻の奥のだるさと、これからは一人なのだと足のすくむ思いと、でもわずかな安堵を感じていた。

もう十分だな、と思ったのだ。私はこれまで流したかった涙を十分に流し、伝えたかった好きを十分に伝えた。長い時間かけて膿みを出し切れたかのように、もうおしまい。と区切りをつけられた瞬間だった。これまでと、地獄のような別れに付き合ってくれた彼に感謝をして。

付き合っている最中に聞き分けの良い人は、別れるときさえ表面上はすんなりと受け入れてしまうのではないかと思う。

これまで不安に思うことがあっても、無性に夜中に会いたくなっても、決してそれを相手に感じさせないよう我慢をしてきた。だからこそ振られるときくらい、信じられないほどに大げさに泣いて、メンヘラになることを提案したい。無理やり仕舞い込んだ気持ちを自分だけで消化するのは時間がかかりすぎる。「まだ好き」と言ったからって関係がひっくり返ることはないけれど、自分の気持ちにケリがつく。笑えるくらい感情をぶちまけてみてこそ、案外すっきりとした、後腐れのない、一歩が待っているかもしれない。