「さよなら」を直接伝えられる機会って、わたしの短い人生に、一体どれくらい用意されてるのかな。
「さよなら」を伝えずに、もう何年も、きっとこの先もずっと、会うことのない人たちが、駆け抜けてきた道の両側に転がってる、気がする。
「さよなら」も言えない、届けられない。
そんな実態のない関係を、わたし達は、なんと呼べばいいんだろう。
彼は、彼らは、わたしの恋人じゃ、なかった。
”ハジメテ”を捧げたひとには、大切な家族がいた。
わたしの”ハジメテ”を捧げたひとには、明るくて素敵な奥さんがいて、元気に駆け回る子供たちがいて。
わたしはもちろん、その人の彼女なんかじゃ、ない。
ただ、お互いの今日に、お互いの存在が必要だったから、そばにいた。
それだけの、ことだった。
その人は、わたしの倍近くこの世界を生きていて、わたしの知らないことをたくさん知っていて。
見るもの、聞くもの、その人の全てが新鮮で、どきどきした。
もぎ取れるものは、全て自分の血肉と化すようにと。
会うたび、喰らいつくのに必死だった。
次いつ会うかなんて決めたことはなかったし、こまめに連絡をとるなんて面倒なこともしなかった。
ときどき、急に。
吸い寄せられたように会うだけの、たったそれだけの関係だった。
身体だけの関係を続けた、大学時代
そんな曖昧な関係を、敢えて言うなら”身体だけ”の関係を、大学生だった4年間、わたしはふらふらと続けていた。
ときには、同時にたくさん。
ときには、ひとりぼっち。
「付き合いましょう」なんて口約束のない、わたしと彼らの薄っぺらな関係。
世の中は、わたしのことを、蔑むでしょう。
不品行(ふしだら)だと。
自分を大事にしろと。
相手のことを考えろと。
確かにそれらは、間違いのない、”正しい”意見だとおもう。
それでも、あの頃のわたしには、大切な人たちだった。
無知で未熟なわたしに、広くて果てしない世界を教えてくれた。
どうにもならない寂しさを、虚しさを、孤独を、共有してくれた。
”身体だけ”の関係が、決して全てではなかった。
わたしの人生に、必要な存在だったんだと。
それだけは、胸を張って言えるように生きていたいと、おもう。
わたしは、わたし達は確かに、おなじ時間と空間を生きたのだ。
なかったことになんて、できない、したくない。
「付き合いましょう」と言葉を交わした、特別なひと。
25歳になったわたしの隣には、「付き合いましょう」と言葉を交わして”特別な”関係になった彼がいる。
おはようとLINEするところから1日が始まって。
お昼に食べたものを報告しあい。
仕事終わりに待ち合わせして帰路につき。
おやすみと送信して眠りにつく。
そんな、わたしの毎日。
あの頃とはまた違う形で、いろんなものを吸収しながら、わたしは今日も生きている。
そんな彼が、ときどき漏らす。
「飽きたらいつでも、ぽいしてね」
そうか。
付き合っているということは、当然のように別れもセットになってついてくるんだ。
相手の動向に注意を払い、次の予定を一緒に決めて。
ときに笑い合い、ときに涙を流し、ときに怒りをぶつけ、ときに幸せを分かち合う。
それが上手くできなくなったら、「さよなら」を告げなくてはならない。
そんな当たり前のことに、わたしは不思議と驚いてしまった。
だって今まで、「付き合いましょう」なんて、約束しなかったから。
だって今まで、「さよなら」なんて、言うタイミングがなかったから。
わたしと過去の人たちの道はきっと、”点”でしか交わってこなかったんだ。
「付き合いましょう」という言葉によって、わたしと彼は、まるで2本の道が並走するかのように、試行錯誤を繰り返しながら、同じ方向に進めるように努力する関係に変化した。
そんな関係は。
彼と別れるかもしれない可能性を、生んだ。
「さよなら」と明確に伝えなければならないかもしれない、そんな可能性を。
その事実に、恐怖した。
今、目の前の、彼と。
「さよなら」を、伝えられなかった彼らも。
「さよなら」を、伝えなくてはならない日がくるかもしれない彼も。
もう二度と、会えないかもしれない。
或いは。
もう一度、人生が交わる瞬間が訪れるかもしれない。
「さよなら」が、本当に、別れの瞬間かどうかなんて、わからない。
だれにも、わからないんだ。
だったらわたしは。
今、目の前で、わたしと向き合ってくれている人と、真正面から対峙するしかない。
そうやって、これからもずっと、生きていくしかないんだね。
ペンネーム:ASUKA WATANABE
美粧研究家 / はだかの被写体 / おくりびと
“美しさ”とはなんなのか、考える毎日を生きています。
Twitter : @a5uk4_official
Instagram : @a5uk4_official