思い返せば「そんなのは恋愛じゃない」と、マウントを取られがちだった。
面と向かって言われたことは一度だけ。しかし私が好きな人の話をする時、聞かされる相手はみなそう思っているのではないかと邪推してしまう。
確かに年上の大人の男性への憧れや尊敬を、恋情と混合してないとはいつも言い切れずにいる。恋愛感情の正体は、今も分からない。

年上の彼に「忙しい」とデートを断られても

ネットで知り合った歳の離れた彼は、穏やかで思慮深い大人に見えた。人前で教え導く立場に慣れた彼は、とても知的でスマートだった。異性からの「かわいい」という一言にも心の中で爪を立てるようなプライドが高い私を、一瞬でしおらしい女の子にしてしまう。そんな自分が新鮮で楽しくて、昔から優等生を演じてきた私にとっても、その上下関係はむしろ心地よかった。

だから忙しいとデートを断られる度に、私は物分かりのいい冷めた女になっていった。その分、忘れられないようにマメな連絡や会った時に余裕のある対応をしてくれる。我儘を言って都合の悪い女になるよりも、そんな彼の器用な狡さに踊らされる無垢な若い女でいる方が、よほど可愛げがあっていいと思っていた。

それでも心のどこかで気づいていた。彼を模範的な大人として慕っていて、その父性に包まれたかっただけだということに。だからと言って、今さら手放す気にもなれなかった。

余裕のある大人なイメージを守るために、彼をかたどる現実には必要以上に踏み込まないように注意を払った。終電を逃した成り行きで訪れた彼の家は、あまりに生活感のない空間で妙に安心した。そこに無造作に置かれた郵便物や仕事の書類だけが、かろうじて日常に繋ぎ止めていた。
よくよく考えてみたら、私は彼のLINEの名前しか知らない。だから目の前の封筒の宛名からも、無意識に目を逸らしていた。この対等ではない関係を白日の下に晒すには不健全に思えて、確かな情報なんて野暮だと思っていた。

別れを決意しながら飲んだモーニングコーヒー

結局、彼との間に肉体関係が完遂されることはなかった。その瞬間まで、私にはまったく縁遠い出来事だと思っていた。
精悍なわりに甘い目元、薄い唇に丁寧に整えられた髭や鍛え上げられた肉体。急にリアルになったそれらをひとつひとつなぞると、隔たれた歳月の違いを感じずにはいられなくて、余計に怖くなる。未熟な私の心だけが、その夜の温度にそぐわなかった。

欲望の片鱗に触れたその夜明けは、ふたりの関係を不可逆にした。今まで「さん」付けで呼び合っていた距離が、妙に気やすくなった居心地の悪さ。抱けない女にかけるコストは無駄だとこぼれた本音に、無防備に傷つくことすらもできなかった。心も身体も私という実体からかけ離れていて、これが不感症なのだろうと悟った。
もう以前のように、尊敬の眼差しを対価に庇護を求めるロールプレイに興じられるはずもない。

お行儀よく務めていた私たちの理想的な恋人ごっこは、ここで終幕となった。
冷めた感情しか目の前の彼に抱けないことが、とても悲しかった。このまま嫌いになる前に、早く綺麗な思い出にしよう。
そう別れを決意しながら流し込んだモーニングコーヒーはあまりに薄くて、最後まで現実味がなかった。

本当の自分で向き合える相手と恋愛するべきだと誰かは言った
それでもありのままで愛されたいなんて、到底思えなかった。好きな相手に丸裸の私を見せつけられるよりも、理想の自分を演じさせてくれる存在であってほしい。けれども年上の彼は、いい子でいたい私ではなく、都合がいい女を求めていた。
そして気が強く一人で生きていけそうだと評される私は、庇護されるべきかよわい女の子として扱ってくれる男性を求めている。

たとえそれが窮屈な靴を履いた姿でも、彼が手を引いてくれるなら無我夢中で一緒に恋に踊れると信じていた。綺麗な恰好の下でいつしか血にまみれていても。愛があればその血すら美しいはずだと、自己犠牲が尊ばれる女性像に無意識に染まっていた。
しかし自己犠牲の愛は執着か、はたまた呪詛に変わる。自分を押し殺して相手に尽くせば、今以上の見返りを求めて縋ってしまうだろう。
そんな予感が胸によぎった時、私は二人の思い出を綺麗に書き留めるための終止符を選んだ。
「このまま終わるのは嫌だから、ちゃんと向き合いたい」と。その先に一緒にいる未来はないことを知りながら、最後に初めて彼に伝えた前向きな決意表明だった。