私は昔からよくハーフに間違えられた。

母親が言うには、私がまだ赤ん坊だった頃、駅にいた外国人が私を見て母親に、
「Oh!パパ、japanese!?」
と喋りかけてきたこともあったらしい。
純日本人に見られることの方が少なかった。

理由は私の髪が天然パーマだったからだ。

「みんなとは違う」ことを笑われることがつらかった

このエピソードだけでも私がかなり強力な癖毛だったということが伝わると思う。
そんな天然パーマという髪型は、私の中で最大のコンプレックスだった。

ハーフに間違われることが嫌だったわけではない。
このコンプレックスを持って、何が一番ツラかったか。「周りのみんなとは違う」という事実だったか。
いや、それよりも「周りのみんなとは違うことを茶化され、笑われること」が一番ツラかった。

同級生に嫌な気持ちになるあだ名をつけられ、下校中知らない上級生の男子から囲まれて笑われ、ヒソヒソと髪型を馬鹿にされ…。
それら全て聞こえない、気にしていないフリをして、家に帰った瞬間大泣きした経験を、学生時代に何度繰り返しただろうか。
どうして、悪いことをしていないのにこんなに傷つけられなければいけないんだろう。どんなに悲しくて悩んで泣いても、次の日の朝鏡に映るのは、嫌いな姿の私だ。

そんな経験を乗り越え、さすがにやってられない!とコンプレックスを消すことを決意した私は、美容院で縮毛矯正を予約。高校卒業後、校則から解放された途端、同級生が黒髪から明るい髪色に変えるなか、私は髪型を変えた。

縮毛矯正で大変身!だけどモヤモヤが残った

縮毛矯正後、鏡を見た瞬間、「これがあたし…?」と冴えない女の子が美少女に生まれ変わる漫画のセリフみたいなことを、つい言いたくなる。
鏡に映るはなんと、サラサラストレートヘアの私!これでコンプレックスとはおさらばだ!私のことを茶化して笑った人たちどうだ!もう何も言えまい!!
思わずはしゃいでしまう程の私の大変身姿を、美容師さんも家族も友人も褒めてくれて、私も嬉しかった。

けれど、何故か胸にはモヤモヤが残った。私はこのモヤモヤを見て見ぬ振りしながら、「これでもう何も言われない」と、心の中でぽつりと呟いた。

そんなストレートヘアにも慣れてきた頃、人生最大のイベントとも言われる成人式で事件は起こった。無事成人式を終え、帰ろうとしたときだった。
誰かが後ろの方から、私が学生時代言われて嫌だった髪型を茶化すような言葉を、ハッキリと言っているのが聞こえた。笑い声が遠ざかる。

それは明らかに天然パーマだった時代の私を知っている人たちからの言葉で、その言葉が投げかけられたのは天然パーマからストレートヘアに変わったはずの私だった。

いやいやいや、こんな流れ、予定になかったぞ。
頭が真っ白になる。心臓の音がうるさかった。私はまた聞こえないフリをする。数年振りの気にしてないフリは上手くできなくて声が震えていたが、友人に不審に思われないように何とか嘘の笑顔をへばりつかせた。

「私を笑ったすべての人を見返すため」だった

その日の夜、なかなか寝つけなかった私は布団に潜り、初めてモヤモヤした正体と向き合った。
コンプレックスを消しても同じ思いをしたというなら、結局私は、何と必死に戦っていたんだろうか?

今までずっと苦しかった。
私を傷つけて笑う人が憎くて仕方なかった。そんな人に強く立ち向かえずヘラヘラメソメソする自分が嫌だった。
コンプレックスに纏わりつく呪いのような憎しみや悔しさという感情は、コンプレックスが消えた後、心の奥底に残った。

数ヶ月毎に美容院に通い縮毛矯正をかけ続けるのも、ヘアアレンジしてオシャレするのも、ストレートヘアの自分の写真をSNSにアップするのも、「私のため」ではなく「私を笑った全ての人を見返すため」だと、ふと気づいた。そうやって、必死に呪いを消そうとしていたのかもしれない。
縮毛矯正後に感じたモヤモヤの正体は「ストレートにしたって見返さなきゃ意味がない」という私の本心だ。

私がせっせと呪いに立ち向かう中、私を傷つけた言葉を発した人たちはそんなこと忘れて、タピオカでも飲んでいただろうか。

気づいた瞬間虚しくなった。
勝手に呪いにしがみついていたのは、私だ。

「見返す」じゃない。もう戦わなくてもいい

見返すことは本当に必要だっただろうか。憧れのストレートヘア、コテを使って巻き髪にする、小さな夢も全て叶った。「似合ってるよ」と言ってくれる友人もいた。それを私は全部「どうだ、昔の私とは違うぞ」と私の中にしかない呪いにぶつけた。
見返そう見返そうと思うたびボロボロになった。

もうやめようと思った。もう戦わなくてもいいんだと。そう思った瞬間心が軽くなった。私の中の呪いはちょっとずつでも消えてくれるだろう。

それじゃあ早速、気になっているヘアアレンジをして、お気に入りの洋服を着て、大好きな友達とタピオカを飲みながら写真でも撮りに行こうか。
「私のため」に。