あけましておめでとうございます。
編集長の伊藤です。「かがみよかがみ」がオープンから4カ月たち、思ったことは「書くってすごい効能があるんだな」ということ。私は元新聞記者なので、言葉の力は信じている。だけど、それはあくまで私個人の話しだと思っていたのですが、かがみすとたちの投稿を通して、彼女たちもまた、「書く」ということで自分を救い、読む人を救っているのかもしれないなと思いました。さてきょうは、「書く」ことの中でも、なぜ「私」に軸を置いたエッセイにしたのか、という話をさせていただければと思います。

新聞記者時代、主語「私」の文章はほとんど書いていない…

とはいってもですね、私、「私」が主語の文章めっちゃ苦手なんです。

新聞記者はファクトを集めるのが仕事なので「主観」なんていらない。事件事故、災害、行政、選挙……色んな現場に行って思うことはたくさんある。だけど「自分の考えを書けるようになるのは、社説を書ける論説委員になってから」と言われていたので、「自分の考えを持つなんておこがましい」とさえ思っていました。だけど、私の思いってそんなに不必要なものなのかなあ?というもやもやもありました。

伊藤あかり
25歳、記者3年目の伊藤

地方で記者をしていた私が「私」で記事を書けるのは年末の記者コラムだけ。私はそこで、高校野球について自分が思うことを書きました。当時25歳。私は高校野球取材をしながら、球児のお姉さん的存在として、彼らの恋愛相談を聞いていました。「彼女のために野球頑張りたい」「スタンドに好きな子がいるからその子のためにホームランを打つ」という話を聞いて「やっぱ恋愛って大切だよね~」と思ったりなんかしていました。そのことを記事にまとめました。

「高校野球に恋愛はタブーか」ということをつらつらと書いたこの記事、過去最高に反響がありました。「恋愛なんかしてる暇があったら、バッドでも振ってろっていうのが高校野球ちゃうんか」と電話がきたり、取材先でも「あの記事超よかった!」と言われました。これは、主語「私」で書いたからなんだと思うんですよ。

「私」の言葉は人の心を動かすのかも

私はこういう経験をした、私はこう思った――。
私目線だから共感しやすいし、意見(反論も含む)も持ちやすい。人の心を動かす。

これは面白いぞ、と。いつか「私の思い」を集めて、読んでみたいな。ポジティブなものだけじゃなく、ネガティブな……もやもやした思いを集めて、社会を変える原動力にできたらいいなと思いました。

「社会」じゃなくて「私」を主語にして語りたい

時代によって「正しさ」というものは変化します。一昔前まで、女性は自分の能力を生かして働くこともままならず、“適齢期”に結婚し、子を産み、育てることが美徳とされていたわけですしね。もっと言えば、私が働き始めた10年前は、朝から朝まで働くことに全く疑問を持っていませんでした。

そう考えれば、すぐ先の未来は「太ったんじゃない?」と他人の容姿について言及することはタブーになってるかもしれないし(もうなりつつあるか)、化粧をするのはマナーでしょ、という考え方も変わるかもしれません。石川優実さんが#kutooを始めたことで、ビジネスマナーが改善されたように。

社会が決める「正しい・正しくない」という基準は暫定的で、数年後には変わるようなものです。そんなものに振り回される必要はない。自分が「こうあるべき」と思ってる物差しを、「それは本当に私が決めたこと?」と問いをたてられるだけで、少し楽になれるかもしれない。

正しい・正しくないを抜きに、「私」が感じた違和感を大事にしてほしい。そのために、「女性は~」「社会は~」ではなく、「私」で語る場をつくりたかった。違和感やもやもやを言語化して、「私だけじゃなかったんだ」「それを言いたかった!」という読み手の子たちと手を取り合いたい。社会のためじゃなくて、私の生きやすさのために。それが結果として、より良い社会につながるはずだと私は思っています。

安心して話せる場所を、つくりたい

「かがみよかがみ」はそのために何ができるか。
安心して自分の気持ちを話せる場所をつくることなのかなと思っています。他人も自分も批判しない、自虐しない。そんな場所を。

さて!2020年も、みなさんからのステキなエッセイお待ちしております。あなたの文章を読ませてください。2020もぶちかましていこう!