「どんな人生を過ごしてきたの?」
会社で1番、年齢の近い女性とハンバーガーを食べながら聞かれた。
人生で初めて聞かれた質問に、私はなにも答えられなかった。
22年間、どんな人生だっただろう。
決して裕福ではない家庭に生まれ、
物心ついたころには母と2人の生活。
片田舎で18歳まで過ごし、上京して今に至る。
決して羨まれるような人生ではなく
事実を言うでもなく、嘘をつくでもなく、ただ困ってしまった。
質問されて気がついたことは、今まで「人生」について考えたことがなかったということ。
こんな老後を過ごしたいなとか、この人みたいな大人になりたいとか、断片的な憧れはあっても
人生の、一つの指針みたいなものが私には、まだない。
私はあの質問になんて答えれるようになりたいんだろう。
スタートラインの差に落ち込む
上京して、地元では関わったことのないような人達がいて
それぞれの人生があるな~と体感してきた。
同時に、家が裕福な子には敵わない部分があると痛感した。
学費、旅費など、お金の心配をせずいろいろなことを経験してる人をみて、羨まずにはいられなかった。
経験できないことを親のせいにもお金のせいにもするつもりはない。
ただ、スタートラインの差にいつも少し落ち込む。
いくらでもドラマティックに
社会的に成功することだったり、お金をたくさんもつことを羨んでしまうけれど、それが本当に自分が望むもので、思い描く人生に必要か。
周りの子だけじゃなく
SNSをみて「いいな〜私も1回でいいからこんな生活してみたい」って思うことはいくらでもある。
有名人もセレブリティも、なるべき人がなっていて
みんなが努力してなれるものではなく、当人にしかわからない苦悩が必ずある。
私がそうではないことが「事実」で、羨んでも仕方ないということ。ポジティブな諦め。
知らず知らずのうちにSNSや広告が押し付けているものに流されていないか。
自分と社会の関係を見つめ直していきたい。
当たり前だが、今の私には、今の生活がしっくりきている。そんな何気ない平凡な日常の積み重ねがあって、人生と言えるものになっていくのだろうか。数年後、なにかが起こって、想像してた日常ではなくなるかもしれない。
どんな日常になろうと、私の人生。全てひっくるめて大切にし、愛せるようになりたいと思う。
過去は今までの私を作ってきたものとして大切にしたい。今を大切にすることが未来につながっていく。
「どんな人生を過ごしてきたの?」の質問に無意識に羨ましいと思ってもらえる答えを返そうとしていた。
かっこいい答えを返す必要はなかったんだと今なら思える。また聞かれた時には、力まずに気楽に答えられるはず。
変なプライドが邪魔をして、社会の理想とされる人生ではなかったことを、後ろめたく思い、素直に言えなかった自分が今は情けない。
ありのままの過去を受け入れることで、自分自身を受け入れられた気がする。現状に満足できる力が必要で、それが自分自身をより満ち足りたものにしていけるのではないかと思う。
「手にしているもので、満ち足りている。」
こう言い切れる人生を過ごしていきたい。