「どの花見ても綺麗だな?そんなことない」

これは、「チューリップ」という童謡を幼稚園のお遊戯会で歌わされた際に、5歳のわたしが率直に思った感想だ。子供の頃から「十人十色」という概念が理解できなかった。
幼稚園で折り紙が配られれば「白色」に変えてくれと先生に直談判しに行き、白がないと喚き始め、ピンクや水色の紙で妥協している同級生を心の中で見下している子供だった。

わたしには2歳年下の妹がいる。わたしと違い、妹は「何色でも良いよ~」という子供だった。シンデレラごっこをすれば、わたしがシンデレラで妹はネズミ役。主役は当然わたしであり、妹は常に「サブキャラ」であった。
わたしの暴君ぶりに多少「やれやれ」と言う顔はするものの、別に気にするそぶりもせずに楽しそうにネズミを演じている妹を見ながら、わたしは子供の頃から敗北感の様な苛立ちを覚えていた。
「主役を演じているのはわたしなのに妹はなんでわたしより楽しそうなんだろう」と。

偏差値第一で大学を受験した姉のわたし

やがて、わたしは妹よりも2年早く大学受験を迎えた。大学を選んだ理由は、「偏差値>その他の要素」だったわたしは、「偏差値〇〇以上が正解」で、第一志望に落ちたら冗談抜きに生きている価値はないと信じ受験に挑んだ。
1年後、無事に第一志望の大学で卒業することだけを目標に大学に通っているわたしの元に、受験を控えた妹からしょっちゅう連絡が来るようになった。
これまでたいしてやりたい事がなかった妹は、母親に薦められた学部の勉強を一年以上してきたが今になって「これは違う」と感じ始めたらしい。私に言われるがままにネズミになっていた妹の発言とは思えなかった。

その電話を機に、進路相談の電話は頻繁にくるようになる。高校でそこそこの成績を残した妹に、指定校推薦の枠が来ており、その中に興味のある学部があると言う。わたしが入学しようとは1ミリも考えなかった偏差値の学校の、名前も聞いたことがない学部だった。もう一つは、就活にも強い名門私立の看板学部。当然、二つ目を進めようとしたわたしに妹はこう言った。

「わたしとお姉ちゃんの幸せは違う」と。

「幸せ」?大学を選ぶ際に、「偏差値」をひたすら考えていた私には、意外な言葉だった。
大学なんて次の人生のステップに進む手段なだけであり、そこに「幸せ」を見出す意味が全く理解できない私は返事に困った。

自分が幸せかどうか、自分を大切にする妹

妹の話を聞くうちに、ポツリポツリと妹の興味のある勉強分野、その分野の勉強がその大学でできる事、その大学の雰囲気や立地がどれだけ自分に合うのか、という話をしてくれた。
全く違う物差しを持つ妹を見ながら、言われるがままにネズミを演じていたと思っていた妹は、自分で満足してネズミを演じていたのだ、とわたしは気がついた。わたしはその時初めて彼女の意見を尊重することに務めた。

見事、自分の望む大学&学部に合格した妹は現在、楽しそうに大学に通っている。
常に、「どっちが自分に合うか(自分はどっちの方が幸せになれるか)」を頭に置き、自分を大切に扱ってきた妹の影響で、わたしも自分を大切にしようと思える。

一つの形の幸せしか存在しないと強く信じてきたわたしにとって、この世で最も遺伝的に近い妹が全く異なった形で幸せを手に入れている姿を見せてくれることは、おとぎ話のどんでん返しだった。

今日、妹は19歳を迎えた。今日だけは、妹をシンデレラにしてやっても良いと思うまだまだ心の狭い姉であるが、彼女の人生がこれからも幸せなことを心の底から祈っている。