手放す、と決心さえついてしまえば案外物事は淡々と進んでいく。
初めて彼氏に別れ話を切り出した時、別れた後の帰り道も同じようなことを思った覚えがある。
別れ話を切り出すのも、洋服の断捨離もそんなに時間がかからない私なのに、今回ばかりは13年も時間がかかってしまった。
数日前、私は父親にとっての「娘」でいることをやめることにした。
父は、決して悪い人ではないのだと思う。母が30年以上、共に歩んで来た人なのだから。
だけど、父は昔から娘にはすぐ手を上げる人だった。
父との関係について話すと大抵「どんな時に手を上げられるの?」と尋ねられるが、私はいつもその質問にパッと答えることが出来ない。正直、未だに怒りのスイッチが入る瞬間がよく分からないのだ。
強いて言うなら、ストレスが溜まっている時。でも、その元凶が私とは限らないので予測するのが難しい。出来ることといえば引き金を引いてしまった時、掴みかかるために父が私の方へ向かってきた瞬間に身構えることぐらいなのだ。
そうして父から手を上げられて育った私は、かの有名なアニメの主人公が「オヤジにもぶたれたことないのに!」と言った瞬間、殴られないで育つ人もいるということにかなりの衝撃を受けた。
そして、友達から「好きな人のタイプは?」と聞かれて「怒った時に手が出ない人」と答えてその場を凍りつかせたこともある。その時は心の底からそう思っていたから「ちょっと待って、こういう時って何て答えればいいの?」と聞いて回って、より周りを引かせてしまった。
今でも大きい声を出す男性が苦手。そもそも、男性自体が苦手であることに最近気付いてしまった。
そのぐらい大きく私の人生に影響してきた父という存在――ものすごく嫌いで、憎んでもいるのにも関わらず、これまで狭い家で顔を合わせる日々を送ってきてしまった。
母といられる時間を大事にしたら
これまで一人暮らしをすることが難しかったわけではない。
中高生の頃は経済的に自立できず、己の無力さを痛感しながら指折り自活できる22歳を数えていたけれども、念願の社会人になって収入が安定して来た頃には真っ先に実家を出ることを考えた。しかし、その矢先――母の身体に難しいガンが見つかってしまった。
家族でいられる残り時間を否応なしに突きつけられた瞬間、私が選んだのは母との時間であり、実家にいること=父からの暴力・暴言も甘んじて受け入れることだった。
【レベルが低い】【社会の最底辺】父から投げつけられる存在否定の言葉で、心をズタズタにされる毎日。それでも残された母との時間のためだったらずっと耐えられると思っていた。
だがしかし、数日前にちょっとしたことで突っかかってきた父親に掴みかかられ、首を強く絞められた。上から私を抑え込んだ父は「お前なんか娘じゃない。もういい」と言い放った。
いや、待て。娘にお前とはなんだ。そして、「もういい」とはなんだ。もうよくない。私達、家族で親子じゃないか。溢れ出てくる言葉を告げる間もなく、父は顔を真っ赤にしてまくし立ててくる。
その父の顔を見た瞬間、「そう悪くない娘なのに見る目がないのはアンタじゃないか」とはっきり思って、これまで心の片隅にあった「苦しくとも娘として歩み寄ろう」という思いが「こんなに頑張ったんだから、もういい」に変わっていった。
26年やって来たけど、私、アンタの娘やめるよ。そう思いながら家を飛び出した。
これからどう一番幸せになってやるか
それでも心残りになっていた母という存在。しかし、母はホテルで泣きじゃくる私に「私の幸せはあなたが一番幸せになること」と言ってくれた。
母から直々にそう言われたら、もう実家には居られない。存在否定され続ける生活は私にとって何より一番不幸な時間でしかなかったからだ。
さっき、不動産屋から電話がかかってきた。着々と内見の手続きが進んでいく。その先には初めての一人暮らしが待っている。
超絶心配性な私にとっては不安がないわけではない。特にお金のこと。ビビりすぎて、今日はスタバではなく100円マックを選択してしまった。
でも、自分のためにも、母の願いを叶えるためにも「これからどう一番幸せになってやろうか」と思うとワクワクしてくる。
手始めに物件に自分の幸せを盛り込んでいく。
朝に弱いので、やっぱり駅チカは譲れない……!
不安なので友達が多く住む街で物件を探していると話すと、みんないたく喜んでくれた。自己肯定感が恐ろしく低い私に、温かく接してくれる友人たち。みんなの近くで過ごせるのは、とても幸せだ。
そうして物件を探している時にネットでエッセイ募集を目にし、思わず文章を書き始めた。
今の私には、きっかけしか紡ぐことは出来ない。でも、いつか「あの時から私はより幸せになれた」と書けるように生きていきたい。