私は料理ができない。もはやこれはネタの部類である。何かを切って、あれをしている間にこれをして、なんてことをやっていると頭のなかがとっ散らかって疲れて、脳みそはパンクする。
そうして作り上げたものは、まあ食べられないこともないが、ここまでの手間を考えればコンビニのごはんの方が、コスパいいよね……ってくらいの味なのだ。つまるところ、まずい。食材に謝罪しなければならないくらい、まずい。まずいごはんを食べ続ける趣味はないので、私は今日もコンビニやスーパーに行く。
私のごはんは、まずいし疲れる
私の知っている食べ物のなかでは、一番に母や祖父母の作る料理がおいしく、次に外食、コンビニやスーパーの惣菜と続く。自炊のおいしさは底辺だ。私のごはんは、まずい。まずいし作る度に脳みそはひどく疲れる。私は自炊をとっくの昔に諦めている。
そんな私の、忘れられない記憶がある。大学時代、自炊の得意な男子がいた。彼は自炊のレベルからしてもう私なんかとは全然違った。私がスーパーのおかずプレート(さまざまなおかずが冷凍されレンジでチンするだけで食べられる)を食べているところを、彼はおかずも作るしごはんも炊くし味噌汁だってつけてしまう。何なら自分で釣ってきた魚をおしゃれに調理してインスタに上げていた。
大学に入学したばかりの頃、彼がそんな料理上手とも知らず、自炊してるんだって、程度の話を聞いて、私は「すごい!」と言った。私はその頃炊飯器もなく、スーパーのおかずプレートとシリアルで生きていたから。
「すごいじゃん。自炊なんて私、できるとも思わない。どんなの作ってるの?」
返ってきた答えは「簡単だよ。豚の生姜焼とかそんなの」だった。
豚の生姜焼、実家で食べたなあ。おいしかった。でもそのときの私には、学食かおかずプレートで食べるものになっていたのだ。
「すごい。私豚の生姜焼とか作ってもらうものだと思ってるから作るって発想がなかった…作れるのか…すごい…」
「簡単だし、誰にでもできるよ。てか、そんなこともできないの?」
今ならうるさいと言えるところだが、そのときの私は今より傷つきやすかった。それに料理ができないことに後ろめたさを感じていたのだ。何だか悔しくてたまらなかったが言い返せなかった。ただその後も、特に料理の練習はしなかった。
あまりに古い先輩の価値観
大学3年の頃。男の先輩に料理しない話を聞かれて、「女の子がそれじゃダメだ」と言われた。は? としか思わなかった。料理できないよりはできた方がいいのは事実だけど、そこには男女なんか関係ない。「彼氏できないよ」とも言われた。時代錯誤もいいところだし、ごはんを作ってもらいたいのは私の方だ。
驚くことにその先輩は料理する男性だったのである。つまり、男女関係なく料理できる方がよく、女の子は特に料理ができるべきであるという価値観の持ち主だった。
私は先輩のあまりの価値観の古さに怒り、ネットに文章を書き綴ってすっきりした。女の子が特に料理できるべきである理由なんかない。男女双方料理ができた方がいいけど、私はできないししない。などなど。
私にできることは他にある
そもそも料理とは誰かのためにするものではないと思う。まず第一に自分のためにするものだと私は思う。自分においしいものを食べさせるために取る手段。だから本当はその手段は自炊でなくてよくて、外食に行くのも、おいしいごはんを作ってくれる人のところに行くのもいい。
私は料理をしようとするとどうしても疲れてしまう。脳みそが料理向きでないのだろう。
だから、しない。
自分でおいしいごはんを作れる人のことをすごいと思うことはあるし羨みもするけど、私にできることは他にある。そう思って、生きていく。