「同年代の女の人がさ…」と、仕事関係でお世話になっている40代の男の人は私に言った。

「綺麗な人で若い頃は周りの男に奢ってもらったりして、チヤホヤされてたのに40歳になって仕事でもどんどん若い女の子が周りに増えてきてさ、もうチヤホヤされなくなって拗ねてるんだよね」

そして続けた。「だから若いうちからツンツンして、飲みに誘っても来ないようだと"若くなくなった時"に周りから人が居なくなっちゃうし、本人のためにならないんじゃないかな~」

私は思わず笑った。ここで正面から「そんなことはないです!」と声を上げることはきっと正解なんだと思う。けどその時私は何も言わなかった。仕事をもらっている立場ではそんなことは言えなかったのだ。そしてそのような性的な差別を受けることが私の人生で本当にあり得ることだったなんて、実のところ微塵も想定していなかったからだ。

その後の「ねぇ、◯◯さんってメイク上手だよね、特に目がすごく綺麗」という一言で、食べているものをすぐに吐き散らしたいほどに心が死んでいく音が聴こえた。食べてるものは美味しかったので、吐き散らすのは素直に辞め、そのまま言葉と共に飲み込んだ。そりゃあ当たり前ですよこの目に50万円は掛かっていますから。とせめてもの抗いとして、心の中で毒をついた。

若い女だから、という差別を体感して

私は年齢という数字上「若い女」だ。だからなんだろう?

その男性は仕事の採用面接の時点で私の容姿を必要以上に褒めた。私は初対面の人から容姿のことについて触れられるのが少し苦手だった。相手は褒めているからきっと悪気はないのだと分かる。しかし、何度も繰り返されて酷く疲れてしまった。それからも「この仕事の現場経験はほとんど無いのでお役に立てませんが」と言ったが「全然大丈夫ですよ!」と本来大事であるはずの私の経歴についてはあまり触れられなかった。つまり経歴を考慮されないということは、あなたは仕事ができなくてもいいよということに感じた。

そして面接が終わった後も「数日内には採用の可否の連絡をします」という大事な一言の前に「今度ご飯いきましょうよ!」と言った。違和感はそのあともしばらくついて回った。

でも「若い女」の優遇は、得でしょ?

こう言った類の話をすると、そういう意見を投げかけてくる人がいる。本来私が持っている経験だけでは与えられないような大きな仕事を振ってもらうこともあった。だからこの違和感に耐えて、ひとつの与えられたチャンスとして仕事をしようと思う自分もいた。

「全然仕事ができなくてもいいから」
「簡単な仕事だけしてくれればいいよ、いるだけで助かってる」

一見甘い言葉は、根元を辿れば正体は差別だった。
「若くなくなったら価値がない」という意識をジワジワと植え付けられているのだ。若くなくなったら?この人の言うところの"綺麗"ではなくなったら?女ではなかったら?

「若くない女だから」と言われたらなんて返す?

常に他者にジャッジされ値札をつけられ社会的に抑圧され、その一つずつを言葉にされて刺され続けることのどこが差別ではないんだろう?
こんなテーマのエッセイを読んで、男性が女性について知ることの一歩にしてほしいなと思う。そして私は男性が受ける差別についても知る必要があると思うのだ。
自分の性についてモヤモヤしている人は、自分以外にもこんなに同じ思いの人がいるんだよと感じてほしい。

私は数年後には30歳になる。今度はこの男性が話したように「若くない女だから」という差別を受けることがあるとしたら、私は次にどんなことを言葉にできるだろう。また笑って過ごす方が楽だと思うだろうか?相手にそれは差別だし不快ですと伝えられるのか?正直想像ができない。

そもそもそんな差別や偏見は口に出すべきでは無い。よかれと思っていった言葉かもしれないが、将来私も歳を重ねて若いと呼ばれなくなる時が必ず訪れる。それが想像できるのなら、放たれたその言葉が私を苦しめるかもしれないことが理解できてほしいと思う。
これから歳を重ねる私ができることは、自分より下の世代で同じ悩みを持つ人に対して「若さだけに価値があるわけではないよ」ということを伝えていくことなのかもしれない。

自分が貼りつけられた「若い女だから価値がある」という値札を私は誰かに貼りつけることをしないようにしたい。苦しんでいる人の値札をそっと外せるような人間になりたいと思った。