口喧嘩が苦手だった。

怒りというのは感情の爆発だからだ。瞬発力の世界だ。ブチっといったら、その場でギアをトップに入れて「この野郎~!」と言わねばならない。そこで私のように「いや、相手にも事情が……」とか「まてまて、私にも悪いところがあったんじゃないか……」と考えだすと、タイミングを逃してしまう。

それに相手を傷つけるのも嫌だった。感情的に発される言葉は、その人が普段心の底に秘めた刃だ。喧嘩が長引くと、たいてい「この前もアンタはああだった」とか言い出すのが良い証拠である。相手の落ち度に一貫性や説得力を持たせようと過去を引っ張り出すのだ。

私は自分自身のことを、かなり性格が悪く陰湿だと自負している。心のおもむくまま相手とぶつかったら、相手の1番デリケートな部分に刃を突き立ててしまうという妙な自信を持っていた。

結果、不快なことを言われても反論したり、感情を剥き出しにして怒ることをしてこなかった。何かの拍子に言い合いになり、相手が感情的になっても、ぐう、とこらえてしまう。
もちろん無言をつらぬく訳ではないが、大縄跳びにうまく入れない子どものように、相手のテンションに半周遅れで口を挟もうとしては失敗する。最後には相手が怒るの聞き、「もういいよ」といって折れるか謝るかして喧嘩を終わらせてしまう。心のうちでは全然納得していないのに。

なんで私ばっかり我慢してるんだ

その時、ガリガリちゃんが私の心に現れる。

声に出さなかった怒りと、なんで私ばっかり我慢してるんだという思いの化身である。ガリガリちゃんは私の指に憑依して、腕をガリガリと引っ掻く。
腕がところどころ血を流し、怒りと痛みが混じり合うことで、ようやく私は感情の落とし所を見つけられる。ストレスによる自傷行為。心のバランスを得る代償として腕全体が真っ赤に腫れて盛り上がり、硬くなっていった。

中学から始まったこの悪癖ーーガリガリちゃんとの共存ーーによって去年まで、半袖で街を歩いたことがなかった。長袖のブラウスや、薄手のカーディガンを羽織って夏をしのいできた。
海外で暑さに負け半袖を着たら、お店の人に「怪我をしてるのか?」とジェスチャーで心配され恥ずかしかった。両親からは「みっともない」「そんなんじゃお嫁に行けない」と言われていた。その度に私はガリガリちゃんを呼び寄せた。好きでこんなことしてるわけじゃない、別にお嫁に行きたいなんて思ってない、と反論するかわりに、腕を引っ掻いた。

半生を共にした相棒との別れは突然だった。
今年、私は心の調子を崩し心療内科にかかるようになった。心を癒すことを試みるうち、腕の傷にも目が向いて皮膚科を受診した。現代医療の力は素晴らしく、1ヶ月ほどで皮膚が柔らかくなって赤みや腫れがひいた。私は久しぶりに半袖のカットソーで街を歩くことができた。

この綺麗になった腕を保ちたい。そのために、ガリガリちゃんと決別し、喧嘩が嫌いな平和主義者気取りをやめようと思った。

久しぶりに喧嘩してみたら…

久しぶりの喧嘩相手は父親だった。無神経なひと言に私はキレた。いつもならムカつくな……と思いこそすれ黙って聞き流していただろうが、怒ってみた。
戦いのゴングが鳴る。声を荒げないと思っていた人間が怒ると、相手もつい過剰反応してしまうらしい。問題の本質とは全く関係ない語気の荒さを責められた。
それは、私の怒りのボルテージの表明であって、内容と関係ない。「今そんな話じゃない!」と切り返して、言葉の応酬をすること数回。結果、私は、「なんで分かってくれないの!」の言葉を残し、過呼吸になってあえなく退場した。相手に大ダメージどころじゃなく、私の身が危なかった。

ヘロヘロになった後、ムキになって言いすぎたと父から連絡がきた。

久しぶりに口喧嘩をして、わかったことがある。まず、確かに言葉の刃は存在する。人を傷つける危うさを秘めている。けれど、父親が謝罪をくれたように言葉は同様に関係を結びなおす手段でもある。

そして、何より今までの私は「もういいよ」という言葉で相手との関係を遮断していたのではないか。自分が折れれば丸く収まるんだろ、と主張を引っ込め、相手の言い分を聞くのもやめてしまっていた。
私が最後に息も絶え絶え叫んだように、相手に自分をわかってほしくて、お互いにわかりあいたいから私たちは喧嘩をするのかもしれない。
きっと対話の1つのあり方なのだ。もちろん、感情に任せていたずらに人を傷つけることは許されない。刃の鋭さを私たちは常に意識していなければならない。しかし、自らを奮い立たせ、声を発して、相手と手を取り合うために喧嘩してみてもいいんじゃないか。仲直りの握手をするための、喧嘩というものを。
1つの家庭で起こる親子の不和でも、広く社会に根付いた差別問題でも、まず声を上げなければ、痛みに気づいてさえもらえない。「おかしいよ」「理不尽だよ」って叫んでも100%理解してもらえるかわからない。私のように伝えたいことの1割も発せないままにエンストしてしまうかもしれない。しかし、怒って初めて、父親が私の顔を見る、声を聞く。同じように街中で、あるいはインターネットで震えながら発信されたメッセージに気づいたほんの一握りの人たちが振り返り、社会構造のおかしさに目を向ける。

こんなことに気づくのに人生の半分を費やしたんだ、と言ったら画面越しのあなたは笑うだろうか。

でも、私には15年の長い年月とガリガリちゃんが必要だった。他人を傷つけたくないと言いながら、本当は何より自分が傷つけられるのが怖かった。自分の心を踏み荒らされたくなかった。
けれど私はもう、戸惑わない。言いたいことはきちんと最後まで言う。声をあげることをおろそかにしない。だって、言葉を飲み込んで自分の腕に傷をつけても私が何に怒っていたか誰も理解してくれないから。納得できない理不尽に仕方ないって諦めるだけでは何も変わらないから。きちんと人と、あるいは社会と向き合いたいと思うから。

さよなら、幾千もの飲み込んできた言葉たち。さよなら、ガリガリちゃん。