わたしの生まれは、兵庫県の宝塚というところで。
歌劇で有名な土地ではあるけれど、歌劇の他にはなんにもない土地でもあって。
田舎ではないけれど、都会にもなりきれない。
そんな場所で、今日まで生きてきた。

この街を飛び出したいほど、退屈したことはないし。
この街に骨を埋めたくなるほど、愛してきたわけでもない。
ある意味ちょうど良い”普通さ加減”が、わたしをだらだらとしばりつける。
わたしは、今年もまた、宝塚を離れる絶好の機会を逃してしまったのです。

夜行バスに揺られて、毎週、毎週、東京に通う。

東京は、原宿に、介護美容を学べるスクールがありまして。
全国どこを見渡しても、まだ他にはない内容が学べるその場所へ、わたしは週に一度、通い詰めている。

夜行バスに、揺られながら。
念のため、もう一度言います。
夜行バスに、揺られながら。
毎週、毎週、通っています。

仕事終わりに、バスに乗り込み。
東京で1日、勉強したら。
翌朝そのまま、仕事へ向かう。
そんなことを、毎週です。

正直、かなりしんどい。
足が、むくみでぱんぱんになって。
寝不足で、身体はふらふらだ。

なぜ引っ越さないのか。
だれもが、疑問におもうことでしょう。
わたし自身が、一番、不思議に感じているのですから。

東京で生きてみたいと、おもうことはなかった。

別に、東京がきらいなわけじゃない。
新しいものが、たくさんあって。
面白い人が、たくさんいて。
東京にしかないお店ばかりだし。
東京からはじまる展示がいっぱいだし。

東京だからできる仕事も多い。
今までだって、たった数時間のために、東京に行くこともあった。
何度も、何度も。

だけど。
東京で生きてみたいと、おもうことはなかった。
わたしは、トウキョウのオンナには、なれなかった。

とても静かな街、東京。

わたしの瞳に映る東京は、とても静かな街だった。
あれだけたくさんの人がすれ違うのに、みんな他人に興味がなくて。
電車の中で、だれとも目が合わない。
困っている人がいても、大丈夫ですかと立ち止まる人はいない。

まるで無機質な物体かのように、隣の人と、きゅうきゅうにおしくらまんじゅうしながら、溢れんばかりの人が生きている街。
それが、わたしの見てきた東京。

だれかが、悪いわけじゃない。
ここは、そういう街なんだ。
みんな、必死で、生きている。
静かに、静かに、生きている。

東京を憧れの眼差しで見つめ続ける、”よそ者”として生きていく。

21世紀の日本に生まれて、わたしはほんとに恵まれているとおもう。
お金さえあれば、たった数時間で、わたしは東京の空の下に立つことができる。

東京だけじゃない。
海も山も越えて、別の国にだって行ける。
帰る場所は、わたしがすきな街じゃなくてもいい。

“よそ者”だから、見える景色がある。
“よそ者”だから、できる仕事がある。
“よそ者”だから、出逢える人がいる。

わたしは、トウキョウのオンナにはなれない。
わたしは、トウキョウのオンナにはならない。

少し離れたところから、憧れの眼差しで見つめ続ける、”よそ者”として生きていく。
東京と、触れ合いながら、生きていく。