私達はお祝いや節目になると、焼き肉を食べに行った。
大学時代のゆるいスポーツ系のサークル所属のメンバーである。
お酒が飲めないメンバーが多かったこともあり、「酒を飲むより、肉をたらふく食べたい」と考えるメンバーが多かった。
それに、やっぱり金のない学生にとって、お肉は特別なものだったのだ。
お互いあまりベタベタとつるむようなタイプでもなく、年に1~2回誰かが「肉食べたい」と呼びかけ、ぽつりぽつりと仲の良いメンバーが集まるようになった。
それはメンバーが引退後も、そして社会人になってもゆるやかに続いていった。
実家の布団にくるまっては着々と社会から孤立していった
さて、社会人になってからの私の人生は黒歴史と言ってよい。
上司からの必要以上のしごき、からの無視、不器用で全然こなせない仕事の山に長時間労働、おじさん達からのセクハラ……。
私の心も自己肯定感もどんどんすり減っていき、鬱病になって、ある日突然倒れて休職した。
鬱病とは不思議なもので、何を食べても味がしなくなるし、なんならお腹が空かなくなるし、好きな物にも人にも興味が薄れていってしまう。
そんなみじめな自分が恥ずかしくて誰にも連絡を取れず、かと言って会社にも通えず、実家の布団にくるまっては着々と社会から孤立していった。
ある日、「肉食いに行こう」と連絡が入る。
なんとなく、彼らには会いたいと思った。
久々の外出。
彼らに会って、かけられた第一声は「なんか……ほっそりした」(頬がこけるジェスチャーをして)だった。
でもそれ以上突っ込むこともなく、学生時代と変わらないキラキラした目でメニュー表を眺め、運ばれてくる肉を待ち、焼き、食らった。
意外とそんな反応が嬉しかった。
あと肉もおいしかった。
再び耐え忍ぶ日々。「肉食べたいっす」と今度は自ら連絡をした
結局倒れるまで働いた会社は2年と持たずに辞めたのだが、その後に勤めた会社もやはり人間関係に悩まされた。
気分屋の上司に入社時から無視をされ続け、上司の取り巻きは空気を読んで私を攻撃した。明らかに異様な状況であった。
それでも「いやいや、またこんなにすぐに辞めるわけには……」と耐え忍ぶ日々を送っていた。
しかし、一度壊れた心というものは簡単にヒビが入りやすくなる仕様になるようで。
私は再び鬱まっしぐらの黄信号が出ていた。
「肉食べたいっす」、と今度は自らメンバーに連絡をした。
そんなに肉が食べたかった訳じゃないんだけど……。
私の近況を知るはずもなく、メンバーは「そろそろそんな時期だよね」という感じで、あっさりと日程と店を決めていった。
私を軽んじたり、私の幸せを喜べない人達と付き合っている時間はないみたい
肉の塊が運ばれる。
うまい。
「性格の良い人と食べる肉はおいしいなぁ」
先輩がしみじみと言った。
「だよねー」と相槌を打つメンバー。
彼らにも色々あって、好きでもない相手と高級料理を食べることもあるみたい。
だけど、やっぱりおいしいものは気心の知れたメンバーで食べるのが一番だそうだ。
私は久々にまともに返ってくる会話と学生時代よりちょっと豪華な厚みのあるお肉を噛みしめていたから、その場では「へへへ」と流してしまった。
けれども帰りの電車、帰宅後の家、通勤の途中……その言葉が私の中でどんどんと大きくなる。
あぁそうだ。
私は性格の良い人達とおいしい肉を食べるために生きていくんだ。
残念だけど、私を軽んじたり、私の幸せを喜べない人達と付き合っている時間はないみたい。
私は顔も見たくないほど嫌いでたまらない人達ばかりの、その会社も辞めた。
志望動機は「性格の良い人と旨い肉を食べるため」
再び転職活動が始まる。
やたら在職歴が短い履歴書。
なかなか筆が進まない。
もう働きたくなんかないけどさ。
お金を稼がないとおいしいお肉を彼らと食べられないから。
志望動機、「性格の良い人と旨い肉を食べるため」じゃだめですかねぇ?