自分の見た目や体型、外見は、家を出る前に準備する鏡の前や街中を歩いている時に通り過ぎる大きなウィンドウなどで目に入ってくる。そんなとき、自分自身に何を見る?
母譲りの大きなおでこ、原因不明の顎の肌荒れ、砂漠のような乾燥肌、肉付きのいい肩、あると走りにくい大きな胸、つまめるぽっちゃりお腹、ムチムチな太もも、筋肉のとれない太いふくらはぎ。あたしが「いやだな」とふとしたときに思っていた自分の体型を、寛大に受け入れられるようになったのは最近のこと。
きっかけは、自分や自分の環境を変えようとするのも、変えないのも自分次第だと気づいたこと。体型を自分の理想に変えようとするのか、それとも自分の見た目への考え方を変えるのか。あたしは食べたいものも、着たいものも、我慢なんてしたくない。かといって、不健康なダイエットや自分に合わない無理な運動もしたくない。だったら、あたしがありのままの自分を受け入れてみよう、と。
人と自分を比べて、ないものねだり
そんな「いやだな」と思っていた部分を、あたしのことを思って指摘してくれたであろう人もいれば、あたしに嫌な思いをさせるために言ってくる人もいた。そうして「これじゃだめなんだ」とか、何を着ても鏡の前に立てばがっかりすることもあった。
そして、成長すると自然に覚える「人と自分を比べること」。気づかない間にも、ないものねだり。小さな胸の女の子たちに憧れたり、スレンダーで食べても太らない子を羨ましいと思ったり、細い足は自然と長く見えたり。かと思えば、海外の子みたいなブルーの瞳やブラウンやブロンドの髪色でさえ。
あたしになかったものは、あたしを満たすのだろうか?
コンプレックスを受け入れようと努めることにエネルギーを使いたい
人の代謝や体型、健康面は様々で、自分のことですらやっとわかってきたところなのに、家族、ましてや友達の体のシステムなんてわからない。今SNSが普及している中で、自分を誰かと比べて「いいなあ」と思わないことは難しいかもしれない。同じように、画面の中でキラキラして見えるモデルさんや女優さんにも、コンプレックスがあって、気にしてしまう部分があって、誰かと比べて「いいなあ」と思ってしまうことがあると思う。
自分自身を蔑み、惨めに思うことは簡単だけど、大事にしてあげることはなぜか難しい。変わらない、変えられない「いやだなあ」と思っていた部分をコンプレックスとして見続けることは、ネガティブなエネルギーを要し、疲れてしまう。それなら、そんな部分を受け入れようと、愛そうと努めることにエネルギーを使いたい。
誰かと比べてしまうことをやめるのは難しい
モデル・女優の水原希子ちゃんが以前、Instagramで言っていた。
「私は体が細いからよく人から『また痩せた?』とか『もっと太った方がいい』とか言われてきた。結構普通に食べる時は食べるし、忙しいとたまに食べれないけど、でもそれは病的じゃない」「コメント欄に痩せすぎだからこれじゃキコちゃんに憧れてる子達に悪影響だからもっと太れと。でもね、私この体型がナチュラルだし、私みたいに痩せ型体型で悩んでいる子もいると思う。私が言いたい事は、、どんな体型でも、それぞれの美しさ、魅力があると思うの。自分の体は自分の物。だから無理に痩せる必要も無いし太る必要もない」
自分がよかれと思って伝えた一言は、その人にとって褒め言葉だった?ありがたいことだったかな?もしかしたら、その一言でひどく悩んでいるかもしれない。体型や見た目、外見の話は、自分が感じるように相手にとっても繊細なもの。自分が言われたら嬉しい言葉でも、相手にとっては重荷になることもある。
不健康に誰かを羨んで、自分にもあればいいのにと願うものは、本当に自分を満たしてくれるのだろうか?いくら自分の欲しい言葉を浴びても、自分の欲しかった体型に近づいても、誰かと比べてしまうことをやめるのは難しい。一生付き合っていく一人しかいない自分自身こそを、時間をかけて、思いっきり可愛がって、愛でて、満たして、ゆっくり少しずつでも好きになれればいいな、と思う。